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生きているという実感 〜心臓の鼓動から考える

ベッドに横になっていると、我が子がよじ上って来た。私に背を向け、くの字になる。後ろから抱っこすると、私の手がちょうど子の心臓の上に来た。「昔ママのお腹にいた時、パパと初めてあなたの鼓動を聴いたのよ。精悍な馬が草原を駆け抜けるような、速くて力強い音でね。驚いたわ」と私が言った。すると、「ママ、心臓の音を聞いてみて」と言うので、子供の背中に耳を当てた。結構な速さでドクドク言っている。「ママの心臓の音も聞いてみてよ。どっちが早いかな」と私が言うと、我が子は私の鼓動に真剣に聞き入った。
 
鼓動を直に聴くと、生きているということを強烈に、生々しく体感することができるように思う。今この心臓が元気に動いているうちはいいが、ある時その鼓動が止まったら、生の終わりを意味する。この誰もが知る真理を、鼓動を聴くことで、体で理解することができる。私が先か、あなたが先か。どちらが先に止まるかというだけだ。それがいつなのかは誰にも分からない。我々の生は、何と脆く、儚いのだろうか。我々は皆、何一つ不確かな世の中を生きている。そう考えると、私の人生に交差する人々すべての存在が愛おしく思えてくる。
 
そんな考えを巡らせていたら、思わず私は子供にこんなことを口走っていた。「ママより長生きしてよね。約束よ!」

「うん、わかった!」という短い答えが返って来た。何の確約もないが、妙に安心する自分がいる。ある晴れた日の一コマ。

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