見出し画像

教育を受ける権利と義務教育

 私が2校目の高校に転勤して間もなくのことであったと思う。ある担任が、遅刻や欠席を繰り返す生徒を指導するなかで、「お前は学校に来る義務があるんだ。」と言っていたのを、今でも忘れない。当時は私はまだ駆け出しで、指導していた担任は生徒指導のベテランだったので、何も言えずに様子を見ていた。今、近くで生徒にそんなことを言う教員がいたら、「ちょっと待て」と言ってやりたい。言うまでもないことだが、生徒が学校に来ることは「義務」ではなく、「権利」だからである。高校は義務教育ではないので、その学校に入学したいと志望して受験をし、合格して初めて通学することができる。もちろん卒業するためには3年間学校に通い、学校が定める進級、卒業の要件をクリアする必要がある。「卒業したいなら学校に来なさい。」というのが、ほとんどの高校の指導になるのだが、それを「義務」と言ってはいけないと思う。
 日本では小中学校の9年間は、「義務教育」と定められている。これを「子どもが学校に行く義務」と思っている人がいるのではないだろうか。私も教員になりたてのころまではそう思っていた。しかし、日本国憲法第26条には、次のように書かれている。すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
 つまり、子どもが教育を受けることは権利である。義務を負うのは、子どもに教育を受けさせる保護者であり、教育を受ける環境を整える国や地方自治体である。何らかの事情で学校にいけない子ども(不登校児童)にも、学校に来る以外の方法で学習の機会を保証する取り組みが進められている。今世紀に入った頃から、私立の通信制高校が増えてきている。全日制の学校で不登校となった生徒をターゲットに、「個々人に合った多様な学び方」を打ち出し、多くの生徒がそこで学び、次の人生を切り開いている。今後公立高校でもそういった取り組みが必要になってくるように思う。
 話は少し変わるが、2023年8月23日の札幌の最高気温は観測史上最高の36,4℃を記録し、エアコンのない学校で授業を受けることが危険な状態となった。私の勤務校は23日の午後の授業をカット、24日は臨時休校とした。35年余りの教員生活の中では、台風接近による暴風雨や、地震による停電、暴風雪による交通障害などの理由で臨時休校としたことは何度かあった。もちろんコロナ禍による長期間の休校も経験している。しかし、「猛暑」を理由とした休校は初めてである。おそらく札幌市の学校教育史上初の出来事だったのではないか。
 少しひねくれて考えてみると、「臨時休校」とは生徒の「教育を受ける権利」の侵害ではないかと思う。しかし、憲法に記されている権利には「公共の福祉に反しない限り」という言葉がついている。ここで「教育を受ける権利」に優先する「公共の福祉」とは、「生徒と教職員の健康と安全を守る」ということになる。「公共の福祉」という訳が分からない言葉も、このように身近なところに落とし込んでみることで、個々の権利を制限するものはそれ以上に守らなければならない国民の権利(生存権など)であることがわかってくる。
 与党自民党をはじめ「憲法改正」を声高に叫ぶ政治勢力が台頭してきている。自民党の「憲法改正草案」には、「権利には義務が伴う」と書かれていたり、「公共の福祉」が「公の秩序」に変えられたりしている。「公共の福祉」とは何かを調べ、考えた者としては、身の毛のよだつ思いがする。憲法改正が成った暁には、「教育を受ける権利」が「教育を受ける義務、学校に行く義務」に変えられるのだろう。そして学校では「公」のために役立つ国民を育てるよう強要されるのだろう。私たちに今できることは「憲法改正(悪)」に反対の声を上げるしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?