【雑記】昔、ゲームの考え方に関する書があったよねって話

久々にどうでもいい話をダラダラ書きたくなったのでチラ裏する。

あまりにも内向的すぎて、普通の就職活動が困難だった私の性格柄、とくに学生時代は私は自分の性格と仕事の相性について常々考えることが多かった。そんな中、結構前にスパ帝さんの「ゲーム2.0 現代デザインの基礎構造」なる書の電子版を買って読んだことがある。

「ゲームは未来のキャリアだ」という観点からゲームジャンルを国家と見立てて大まかに7つに民族がある、という提唱をした書である。この書で提唱された仮説は実際は違うだろ、って思う点もあったが、非常に画期的な書籍なので、とくにボドゲが好きな人・ゲームを作る人は確実に読んだほうが良い(絶版してるだろうけど電子版なら多分ある)。逆にTRPGユーザを貶したためこちらのユーザからは当時不評を買った覚えがある。

各民族の定義とかは下のリンクにも書いてあるので参照。
http://spa-game.com/?p=3430

私はもともとシムシティとか典型的な管理民族向けのゲームが好きな人である。最近はこの手のゲームはゼロではないけどめんどくさくなってきてるから、多分目指すべきキャリアが変わったのかもしれない。ひどいことを言うと、課金で結果が左右されるタイプのゲームや一方通行でお使い感のあるRPGに至ってはもはや拒否反応が出てしまっている。

最近は別の民族向けのゲームにお邪魔することが増えてきてる。私が好きな麻雀は理不尽な勝ち負けもある一方、日々打ち筋とかを向上する必要はある。この点から管理民族向けではない。しばらく遊んだり配信見たりした感じ、強いとされる人はおおむねデータ重視のデジタル思考の研究民族か、過去の経験や予感で判別するような意思決定民族に大分されると思ってる。

一方昔から下手の横好きな音ゲーは軍人民族の単一国家と言われている。FPSも基本は守りの概念が薄いのでこの手のゲームが得意な人は同じく軍人民族だろう。

格ゲーみたいに読みもアクションもどっちも重要な多民族国家的なゲームの民族対立を説明もできる仮説なので、ゲームに対する考え方が対立してるところとか見てると「この人はゲームする上でこういうタイプかも知れない」と話を合わせたり地雷を避けたりと色々と都合が良かったりする。

もちろんどの民族にも優劣はなく、等しく社会には必要な素質だと思ってる。ただ、ゲームに対する考え方の違いを日々見てると、ときどきこの本を存在を思い出すようになったのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?