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元シムシティ建築勢、今はMinecraft建築勢

この記事は、筆者の黒歴史について記載したものである。もしかしたらMinecraftを教育に活かそうと考えている人や、現代建築をしている方々に興味を持ってもらえるかもしれないと思い、あえて記載しようと思う。と同時に今の現代建築勢に「こんな大人になってはいけない」という反省も込めて記載する。

筆者について

一部の人は知ってるかもしれないが、筆者コマナズはもともとシムシティ(都市を開発するシミュレーションゲーム)の界隈におり、現在はMinecraftの建築を楽しむ人である。今も昔もそれなりに深い知識を持った人々の集まりである。

昔から私は鉄道が好きだったので、高校生くらいのころは架空鉄道をテーマとした個人ホームページを持っていた。このハンドルもそのときの都市「駒奈市」が由来である。今でも都市名をそのままハンドルネームにするような文化が残ってるのは興味深い。

入り口

現代のゲームは入り口という点で非常に恵まれている。スマホもあれば関連書籍もたくさんある。とくにMinecraftとかは御存知の通りであり、羨ましい面はある。

一方、シムシティ3000や4となると入り口が狭かった。シムシティ自体はスーパーファミコンで非常に有名なタイトルだが、当時はスマホ版なんてものは存在せず、PCを持つことができるユーザのみが楽しめるものである。キッズの時代からPCとかインターネットにさわれる環境に恵まれ、たまたまシムシティ3000に出会ってしまったことがこの世界に入るきっかけであった。その後シムシティ4もまもなく出たため続けてたまに遊んでいた。

教育の側面

シムシティがきっかけで、都市を中心としたシステムや社会分野への興味が高まった(ただし、自身の進路は情報系である)。界隈の中には、建築や土木に進んだ先輩方もいた。シムシティそのものに対する知識から発展して、LRTの活用だの田園都市から、ニューヨークの建物の規制とか、いろいろ身に着けた。また、シムシティだけに限らず、とある海外渡航がきっかけで国外の都市にも興味を持つようになった。

シムシティを教育に活かそうと動く人々はいた。たとえば、「シムシティ3000 ティーチャーズガイド」と呼ばれるものがあり、今もひっそり存在する。また、当時の開発途上国支援プロジェクトである「100ドルPC」には初代のシムシティがプリインストールされていた。

特に読み物として面白かったSim-Laboというサイトは現存しているので紹介する。

しかし、シムシティ4になると、都市シミュレーションツールとしてのシムシティは廃れた。理由は次で説明する。

MODの時代とバニラ原理主義

Minecraftで建築界隈をのぞくと時たまバニラ原理主義がいる。おおむね、ShaderやWorldEdit、建築MOD等の使用を認めない方々である。なんだか私がキッズだった頃みたいで微笑ましくもなる。

当時のシムシティ4界隈にもMODの文化があった。それも、MODなければシムシティ4にあらず、というレベルである。デフォルトではそれほど建物の数は多くなく、デザインもアメリカものばかりである。例えば日本の都市を再現するなら和風の建物を追加する、と言った具合である。

MODの種類としては、デフォルトにはないオリジナルな建物を追加したり(LOTとかBATとかよばれるアドオン系)、交通機能を大幅拡張する総合MOD (Network Addon Mod等)、チートで資金を無限にしたり(チート系MOD)するたぐいがある。

しかし、特にキッズの頃の私はこのうちチート系のMODを許容することに抵抗があり、時間がかかった。シムシティは本来市長として都市の経営をするゲームである。しかし、当時の主流の遊ばれ方としては「理想の都市のスクリーンショットや動画を撮るためなら、どんなMODを導入してもよい」というものである。そのせいか嫉妬する場面もあった。(流石に文字には起こさなかったが)。マイクラの言葉で言い換えればサバイバルモード原理主義に近いものである。

シムシティの建築勢

やがて都市を作るだけは飽きたため、自分で建物を作りたくなってきた。当時は架空鉄道らしく、駅とかマンションとかをいくつか自分で作っていたりした。需要が高いテーマであったため好評な面もあったが、高校生当時はスキルがなかったためダメ出しも多かった。

シムシティ4で建物を作る手段は、3dsMAX(の無料版、gmax)の派生ツールであるBAT (Building Architect Tool)である。わからない人に言うと、要は普通に3Dで作れってことである。ただ、当時も今も3Dツールなんて高嶺の花であるところ、このツールはありがたいことにタダであった。つまりお金のない私でも3Dで建物を作れるのである。チュートリアルも公式のものから有志のものまで大変親切なので、高校生でも作ることができた。

しかし、テクスチャだけはセンスが問われた。無料テクスチャを探すには膨大な海外サイトの海を漂う必要があるし、シームレスにするには画像加工技術が必要であるが、いかんせんそのスキルがちょっと乏しかった。経験を積んで慣れてはきたものの、建物を作るごとにだいたい「テクスチャのセンスがない」と言われた。私がテクスチャを人任せにするのもこの当時の苦い記憶が原因である。

ニコニコ初期に有名だった以下の動画は当時の旺盛だった時代の名残である。ついでに私が当時作った建物も動画の後半あたりで2個くらい出てくる。

引退

流石に大学受験ともなると私は界隈から引退する必要が出てきた。大学生ちょっと前に一時期復帰したが、多忙が原因で結局すぐに引退することとなった。これから脂が乗るところだっただけに残念である。

その後はニコニコの時代になるわけだが、その頃はしばし創作から離れ、ネットの海を漂う日々が続いていた。Minecraftの誕生までは。

Cities Skylinesにも興味があり、かつての界隈の人も実はちょっと戻ってきていることを知っていた。しかし、もはやMinecraftである程度一人前になってしまった私に戻る意思はなかった。

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