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心配されるって嬉しい?

祖父母が大好きだった。
夏休みには1人で新幹線に乗り、祖父母の家でしばらく過ごした。
いつも温かく見守っていてくれる祖父母。
無事来てくれるのか?無事帰れたのか?
心配で心配でたまらないと言っていた。
毎回帰る時は泣いてくれた。

小さい頃、兄が私に、お前なんか死ねばいいと言ったそうだ。それを見ていた祖父は、自分も末っ子だったこともあり、自分と重なる部分があったようで、とても辛かったそうだ。だから、兄弟の中でも人一倍思い入れがあると言っていた。

かつて、かまってちゃんだった頃、心配されることはとても愛されていることなんだと思っていた。

心配してたよ。とか、それは心配だね、と言われることがある。自分にはそういった気持ちがあまりないので、とても優しい人だなと思った。

心配とは相手の可能性を信じていないから起こるみたいなことを聞いた。

相手の状況次第で自分に降りかかることを想像して自分の心配をすることはあるけれど、本当にその人を思いやるほど慈愛の心がない私は、冷たい人だと思っていたので、この考えはとても自分の心を軽くしてくれた。

でもさ、現実的に考えて、心配すればするほど相手の状態が良くなるならいいけど、そうでなければ心配する意味はあまりないと思うし、心配のマイナスの感情に引っ張られて自分まで疲れたら意味ないと思う。

いざという時に助けてあげられる力をつけた方がよっぽど現実的な気がする。

とは言え、生死に関わることであれば、心配するなと言うのも無理があるし、自分が心配される方の立場だったら、心配させてしまったことで辛くなりそうだから、心配してほしくないな。
難しい。

とりあえず、心配されるより、信用される方が嬉しいということでした。

※祖父母からはたくさん心配もされたけど、それ以上に大きな愛があったから、ふと思い出した時はいつも心が温かくなります

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