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分かり合えないことと「傲慢と善良」


昔、夫との喧嘩で、どうせ分かり合えないんだからもういいって言ってしまった事がある。
これは夫に限ったことではなく、私の本音なんだけど、それを人に対して言ってはいけないことは知っている。

話している中で、自分が大切だと思うポイントを軽く流されることがよくある。あ、この人とはこの距離感なんだなと思う。
友人に勧められて16personalitiesという性格診断をやった。



私の性格タイプは提唱者 (INFJ-A)。
https://www.16personalities.com/ja/infj%E5%9E%8B%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%A0%BC


私はどうやら深く分かり合いたい気持ちが強いようなのと、性格診断的に自分と似たタイプが少ないそうで、分かり合えないと思うのはあるあるだということだ。なんだかすっきりした。

最近、色んな立場の方の思いを聞いてしまって、どちらにも加担できない状況にもなり、皆が楽になる方法ないのか考えてしまって、結局どうすることも出来なくて終わる。誰も私にそんなこと期待してないのにな。考え込んで疲れて誰も得しない。分かってるのに考えてしまう癖がある。
どうにかしてあげようなんて傲慢だな。
辻村深月著「傲慢と善良」を読んだから、この言葉を使いたくなった。

ジャネットに以前、「あなたの行動力と語学力が羨ましい」と直接言ったことがあるけれど、その時、ジャネットが、「真美は自分の言葉で外国人と話したいと思う?どこか違う国で暮らしたいと思うの?」と聞いてきた。
「あなたがそうしたい、と強く思わないのだったら、人生はあなたの好きな事だけでいいの。興味がもてないことは恥ではないから」

特段、興味がもてないことを恥てもないと思うのだけれど、何かがふっと軽くなった。

読んでよかった。

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