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「限界突破」と「足るを知る」


「もうこの程度で十分だ」と思うのをやめよう。

可能性は無限って言うじゃない?
未来の自分がどこまでいけるかなんて、今の自分には、わからない。
だから自分で自分のこと「この程度」って思うのはやめよう。


そんなことを考えていると、
同時にもう一つ
別の言葉が浮かんできた。


『足るを知る』

才能がない。
チャンスがない。
時間がない。
お金がない。

足りない、足りない、足りない。
その気持ちが苦しみの元になる。

だから、まず、今あるものに目を向けよう。
自分がすでにどれほどのものを持っているか、
振り返ってみよう。
そして、今あるものに感謝しよう。


うん。わたし、この考え方も好きだ。



あれ?でも・・・。

『「もうこの程度で十分だ」と思うのをやめること』

『足るを知ること』

このふたつは、矛盾するんじゃないかな?
そんな気持ちになった。


それで、ふたつを並べて分析してみたら。

わたしにとっては、
「足るを知ること」と
「この程度で十分だと思うこと」は、
ちょっと意味が違うんだとわかった。


「足るを知る」は、文字通り、今持っているもので、
すでに、十分にしあわせだと知ること。


世間には、
素敵な人がたくさんいるのに。

可愛い人。
賢い人。
みんなから好かれる人。
いつもしあわせそうな人。

一方で、わたしには、何もない。

キラリと光る才能も、
何かに挑戦する勇気も、
コツコツ努力する根性も。

どれひとつ、ない。
ずっとそう思って生きていた。


でも、そんなわたしが、
自分もなかなか捨てたものじゃないって
思えるようになって、

さらに、
自分に対して「いいね!」って思えるようになって、

さらにさらに、
「自分、サイコー!好き!」って思えるようになったのは、

まさに、「足るを知る」という考え方を受け入れたからだと思う。



「足るを知る」を知ると、
自分が満たされる。

自分のしあわせを、
外に求める必要がないことを知る。



そして、そのあとだ。

「この程度で十分だ」と自分で自分の限界を決めるいることに気がついたのは。

腹の底から気がついた。

わたしは足りない人間だから。
どうせ無理だから。

だから、

「この程度で十分だ」
「これくらいがお似合いだ」

無意識でそんな風に思っていた。
そう、無意識で!

無意識は厄介だ。
無意識なだけに、自覚がない。


自覚のないところで、
「わたしには、これくらいがお似合いだ」
と思っていたんだ。


だからいつも中途半端なものしか手に入らないし、
それ以上のものを手に入れようと、努力もしない。


逆に、
気がついたということは!
意識にのぼってきたということは!
この無意識での設定は変えられるはずだ。


今までは、足りないという気持ちを満たす時間。

これからは、限界突破。
自分で作ってきた自分の枠を超えていく。



もっとできる。まだまだできる。
だって、やっと気づいたところなのだ。


わたしだって、もっと望んでいいって。
挑戦していいって。

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