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60年を憂う

あと60年も生きるのか。しんどいな。

これが20歳を迎えた時の私の気持ちだ。仮に80歳まで生きるとして、当時の私には残り60年あった。これまでの人生の3倍も生きることに飽き飽きしていた。

友達もたくさんいた。それなりの中学校、高校、希望の大学にも入学できた。アルバイトも頑張っていて、それなりに頼りにされていた。

でもいつも満たされていなかった。まるで自分が透明なうっすい膜でできた人形で、周りにはドーナツみたいな穴が空いていた。周囲とは一定の距離があり、孤独感を(勝手に)募らせていた。

元を辿ると、私は昔も今も、いわゆる流行りの「自己肯定感」が低いのだ。今は「自己肯定感」が低くてもそんな自分を受け止めているので自分の中で整合性が取れているのだが、昔の私はそんな自分に気がついていなかった、或いは気が付かないふりをしていた。

昔の私は、自分の存在は「誰かの役に立ってこそ価値がある」と思っていた。だから、「優しくて、笑顔で、面白くて、頑張り屋で、勉強もできて、遊びもして、元気いっぱいで」という、とんでもない怪物のような人間でありたいと常に思っていた。

そうでなければ、私は誰からも必要とされないと本気で思っていた。自分の存在意義に他者からの賞賛が常に必要な生き方をしていた。

当然疲れるわけである。他人軸に自分の存在価値を置くと、自分でコントロールできない分とても不安定になる。パタっとメールの返信がなくなったり、ちょっと曇った表情をされただけで、夜も眠れないくらい気になってしまうのだ。

30も半ばになった私が当時の私に伝えたい。

他人は所詮他人だし、影響されなくて良いよ。よく頑張ってるよ。お母さんはあなたを愛してくれているよ。だから自分をちゃんと労わってあげて。

インナーチャイルドを癒すことは今の自分にもきっと繋がる。過去を肯定してあげよう。そんな過去があるから今の私がいるのだから。

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