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2024年5号【別館】

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今週の表紙:押韻島3大瀑布の一つ「マグワイナガラの滝」
現地住民の間では「悪魔のブラインド」の名で知られる。

花粉が来たにょ


《全3回》タモリ、MP6を語る(前編)

嘘です

ライミン部

押韻島で半ば都市伝説化している不可思議にして不可侵の存在「ライミン」を思議し侵す投稿コーナー

★今週の目撃情報

・ファミレスの隣のボックス席で、熱心に仮想韻の営業トークを繰り広げていた。少し煩いくらい会話が盛り上がり始めたのでチラッと様子を伺ったら向かいの席に誰も居なくて、ずっと一人で喋っていた。ゾッとした。(カカロット 押韻島 自由業 25歳)
・電車に乗ってる時に車窓から見える景色を眺めながら、流れていくビルや電線を飛び移って電車に並走する忍者の妄想をしていたら、その忍者に追いついてきた。(M.Z. 三重県津市 フリーター 24歳)

★今週の格言


ライミングは知の鏡である

                              ───ライミン
(賀茂茄子不賀茂茄子 石川県 学生 16歳)
 
解説:言語は、それ単体で意思疎通のための優れたツールとして機能し得るものの、言語を用いたコミュニケーションを円滑に進めるには、単語、文法、発音といった「その言語に対する知識」だけでなく「その言語が用いられている地域の暮らしや文化や歴史に対する知識」まで持ち合わせていることが望ましい。英語をある程度使いこなせてもアメリカやイギリスでは鉄板なジョークが理解できなかったり、日本語はそこそこ勉強していても日本では社交辞令として当たり前に受け入れられている謙遜した表現を必要以上に真に受けてしまったり──これらの例は飽くまで感情の問題であって最終的には個々のパーソナリティに依存する事象ではあるが──その言語による種々の表現を理解し、産み出すには、やはりその言語を育んできた各地域ごとの地理、そしてそこに積み上げられた暮らし、文化、歴史からなる特性をすっ飛ばすことは不可能に近い。言語の要素のみを掬い取った文章だけで成立するケースは極端に限られ、それこそ言語の要素自体を、学習等の目的で敢えて抜き出して強調している教科書の例文などが精々である。He is a boy.
言語がそういうものなのだから、言語の共有を前提とする言葉遊びは言わずもがな、相応の知識をもって挑むに越したことはないだろう。韻は、読み方より聞こえ方、見た目より音の面に特別な効果を期待する場合が多い“言葉遊び”ではあるが、音響を追い求めた結果文章の意味がまるで成立していない韻文に対しては押韻島内でも評価が割れるところであり、また、韻がもたらす音響の一致と、体を保った文章としての意味が程よく調和し相互に補強し合うような、文字通りの韻文が放つメッセージの魅力には強烈なものがある(もちろん、音響やリズムを合わせようとした結果、日常ではなかなかお目にかからないスレスレの文章が乱発されるのも韻文の主要な面白味の一つである。「そのヤバさまるで猿飛佐助/YO YO YO  やるときやるぜ」とか。文末の音響を揃えつつ多彩な押韻を展開するために、リリックに体言止めを多用する往年の日本語ラップのスタイル自体、言語表現としては特異で、詩的に変化した形と言えるかも知れない)。
つまるところ、どのような言葉を選び、どのように繋げて、どのように解釈し、どのように例え、どのような文脈でどのように踏んでいくかは各ライマーのバランス感覚に則って練っていく訳だが、言葉選びを筆頭に、知識が物を言う場面は少なくない。
ライマーは「自分が知らない言葉」で韻を踏むことができない(知らないため)。よって言葉を知っていれば知っているほど、韻の素材を探す際には有利に働くだろう。また、多くのライマーは、思想を言語化して届けたい、心情を言葉に乗せて発散したいという作詞者一般の望みと同等かそれ以上に「誰も知らない韻」を踏みたくて踏みたくてどうしようもないという欲求に苛まれ日夜脳を掻き毟っているが、「誰もが知っている言葉で誰も知らない韻を踏む」行為がそれなりに困難なミッションであることも手伝ってか、趣味や生業の関係で自身が精通している分野の世間的にはマニアックな固有名詞や、日常生活であまり登場しない四字熟語などの「知る人ぞ知る言葉」を持ってくる手法をしばしば取るので、そういった点でも、特に、詩をシンプルにまとめるよりもゴテゴテとした語彙で彩りたいタイプのライマーにはより深く、広い知識が必須となるだろう。
言葉は知識から絞り出され、知識は経験によって形作られる。そして、どのような経験をしてきたかは、その経験を経た者がどのような人間であるかと殆どイコールとも言える。喋り方一つで生まれ育ちや為人が伺えることがあるように、ライミングを見れば「これとこれで踏んでくるか〜」「ここでこう踏むのか〜」といった気付きから、ライマーの思考、更には素顔にまで迫っていけるのだ。

迫っていけるのだ。
少なくとも、受け手側としてはライミングにおける言葉選びや手法に滲む個性を享受し、自分が観測する世界の外から訪れる語彙との遭遇を歓迎していることには違いない。
知識は、ライミングの妙を捉え、ライムに使用できる語彙を蓄え、ライマーとして注意深く繊細に、或いは手癖に従って雑に、韻文を組み立てる上で大いに助けになる。裏を返せば、目の前のライミングをどこまで切り分け、咀嚼し、味わい、消化できるかは、己の知識が試され、目の前に映し出される機会とも表せるのだ。

★おたより募集

ライミン部では、「ライミンを目撃した」「ライミンがこんな格言を残した」「ライミンにこんな格言を言わせたい」「ライミンとイチャイチャするシチュ」など、ライミンにまつわる凡ゆるおたよりを募集しています。どしどしライミン!

宛先
見えやすいところに書いてください

次号予告

正月君、ぼーっとしてる場合じゃないよ!

編集後記

この感じでいきたいと思います。嘘を書いてしまいすいませんでした。MP6はね、生姜醤油。

(文責/押韻島公民館狂信者)

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