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2024年11号【別館】

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今週の表紙:ライミングフィッシュ
押韻島近海には多脚や触手を有する
海洋生物が生息しており、
その殆どが「ライミングフィッシュ」と呼称されている。

わーお


《マニア痙攣》SIXの魅せフロー3撰(後編)

先週号に引き続き、押韻島の主祭神SIXがそのフローによってリスナーを魅せた名場面を振り返る。

③内緒噺〜SIX's delivery〜

栄えある3撰の殿を飾る曲はこちら。

押韻島メンバーであるSIXとmic checkerz(M.C.Z)による共作。日刊SIXに収録されている。
タイトルのとおり内緒で制作され、内緒で公開(内緒で公開?)されたものだが

なにせ日刊SIXに収録されているということで普通に本人のSNSで紹介されている。というか別に普通にSoundCloudに置いてあるし、熱心なファンの方々にはお馴染みか。

内緒噺の前段として、SIXの得意技である三題噺について触れておくと、
その辺にいた人やジェネレーター等によって任意若しくは無作為に提供された関連性の薄い三つのワードを、ライミングの素材及びリリックのネタとして使用する作詞法
である。言わずもがな、客から挙げられた三つのお題を踏まえて噺を演じる落語の即興芸「三題噺」から来ている。
三題噺はSIXの代表的制作スタイルの一つであり、三題噺スタイルが産んだ作品は複数存在するが、中にはタイトルそのものが『三題噺』になっている曲も存在する。

こちらが同じくM.C.Zとの共作で、互いに出し合ったお題での三題噺に挑戦している。因みに、後に数回行われるSIXとM.C.Zの共作で世に出た順で言うと初出。この『三題噺』をもじって「普段はちょっと触れてないテーマに内緒話のテイで言及しよう」という発想から産まれた共作シリーズが『内緒噺』である。
押韻島内での共作には専ら「同音ライム4連打」「絵文字のみで作詞する」等の縛りが設けられプレイヤーを(半ば自縄自縛気味に)締め上げているが、『内緒噺』でもご多聞に漏れず先述の内容面に対する縛りにもう一つの縛りが加わっており、それが今回取り上げる魅せフローを形成している。

つまり「ボソボソデリバリー」である。

内緒話のテイを踏まえて、囁くように声を潜める声音、声色でラップしているのだ。SIXのウィスパーが聴ける機会なのである。SIXのウィスパーが。そして普段、恐らくは意図的にあまり触れていない「近頃のHIPHOPへの所見」を語っている。いいですね。百科事典を縦横無尽に駆け巡る如く固有名詞を散りばめた普段のリリックから相応にトーンを落とし、しっとり言葉遣いにまとめられたリリックに染みて見事に調和しています。ん〜。耳が幸せ。très bien
ラップにおいてケイデンス或いはデリバリーと称されるボイスパフォーマンス、声の出し様には無限の選択肢が存在し、サウンドでの味付けという面で時にフローと同一視される。ある程度の音圧を伴う高音域のデリバリーを用いていた当時のSIXとしてはかなりレアな、そして作詞の手法ではなく内容及び音源に係る縛りが設けられたという点でも、膨大なディスコグラフィーにあって異色の魅せフローと言えるだろう。だから内緒なのかもよ。

いかがだったでしょうか?

3週にわたってお届けしたSIXの魅せフローの世界。
ピックアップが2017〜2018年の作品に偏ってしまったが、SIXの楽曲は単にS級ライムの陳列棚であるだけでなく、フローやデリバリーといったサウンド面からのアプローチ、文章としての巧みな表現、狂気的な遊び心、サンプリングのセンス、タイトルからトラック選びまで聴けば聴くほど味わいを増して深化していく逸品ばかりである。移民したばかりの島民の皆様はもちろん、小節のケツばっかり追いかけているSIX信者諸兄も、これを機に改めて聴き直してみてはいかがだろうか。

《コラム》押韻島談話室

暖炉を囲んでSIXや押韻島を勝手に語るシンプルコラム。
今回は「SIXのスタイルと三題噺」について。

一般的に、人が曲を作る際には、曲にしたいテーマや具体的なエピソード、発露して知らしめたい想い等が存在し、それに沿って言葉や音を組み立てていく。
しかし、多くのSIXワークスにおいて、その創作の推進力は「韻を踏みたい(韻を筆頭とする特殊な言葉の表現を使った実験をしたい)」という部分に結構な割合で依拠しており、SIXは韻を踏みたいがために作詞を行い、優れた芸術家の責務として世に公開するにあたって億劫ながらラップの形で出力し、録音し、楽曲に仕立てていると考えられている。そこには「如何に良い韻を踏めるか」「如何に新鮮かつ刺激の強い作詞上の縛りを乗りこなせるか」という挑戦の所産たる、凄まじい質の韻が夥しい量で厳然と在り、翻って、特に所謂ラップミュージックのジャンルにあって、ある種完成度とは別軸の評価要素として取り沙汰される「如何に具体的なオリジナリティのある自分語りを入れるか」「如何に自慢(不幸自慢含む)を人の心に残る形で言語化できるか」という課題への興味は、言ってしまえばほぼ確認できない。例えば、凡百のMC/ラッパーが凡百に囲まれながら自身こそがTHE ONEであろうとリリックに落とし込んで切り売りする「リアル」なプライベートエピソードテーマとしては頻出の、生まれ故郷がどんな場所かとか、過去の失恋話とか、子供がかわいいとか、親への感謝とか、都会で放蕩しまくってるとか、月収発表とか、欲しいものリストとか、ドラッグの失敗談とか、育ちの悪さとか、犯罪歴とか、そういった個人の経験に則った(と思われる)情報は、極端に少ない。0と言ってもいい。寧ろ押韻島周辺では、邪神なり、タイムトラベラーなり、パンダなり、美少女なり、バーチャルに装飾できる存在としての“SIX”を強化する方向に積極的である。
もちろん、個人の経験に則ったという意味のレンジを広げれば、個人による創作は須くその個人がその経験を重ねてきたからこそ生み出されたものであるし、SIX個人が保有するラップミュージック・HIPHOPへの愛情と造詣に基づき、フレックスやセルフボースト等の呼称で所謂ラップの体裁上求められる自己主張を「世の風潮や流行に関せずただ己の才とスキルを研ぎ、ライムを探求し、作品を残し続けるストイックな姿勢」自体への言及によって担保するスタイルは、特に近年SIXワークスに通底する楽曲としての“テーマ”と評せるかもしれない。各個の楽曲それぞれに付与されているメッセージと言うよりは作風や作家性といった趣だが。
また、コラムということで一つの側面のみを冗長に引き延ばして語ったが、ガッチガチのライミングや異様な縛りに印象を持ってかれがちだったりフィクショナルな世界観を纏わせて婉曲に謳ったりしてるだけで、SIXのパーソナリティが滲む自分語りはどの作品にも偏在している、とも言える。先述のストイックな姿勢ボースティンは「ラップらしさ」への配慮である以上に元より本人の本音であろうし(思ってもないことをあんなにかっこよく書けるわけないので)、SIXの詞や発言に度々見られる「未来の世界への懸想」「ライミングを何らかの形でビジネスとして成立させる」「TCGの販促アニメの世界における“大体のことがTCGの腕で決定されるし解決されるノリ”の韻版」といった幾つかの世界観は、その場で思いついた単なる妄想だったとしてもSIXという個人に根づいている思想が芽吹かせたものである可能性が高い。今週号で紹介した内緒噺では「最近のHIPHOPに物申す」をやっているし、先週号で紹介した「エミネムへのライバル意識」も好例にあたるだろう。聴いている分には魅せフローや「エイトマイル」のアナグラムに目を奪われがちになってしまうが、根本的な熱意の部分は大マジと思われる。
とはいえ、ギミックはガッツリ凝ってテーマはフリーという制作を明らかに他よりこなしているSIXにとっては、韻とリリックの提供までが自動化されており、与えられたワードを自身のボースティングに繋げるというそこそこの縛りを前提として作詞できる三題噺は、理想の制作フローと言えるのかも知らない。
こんなことまで書いて大丈夫なのか? 今回はここまで。

次号予告

ゴオオオオオォシュー!

編集後記

次号以降もうちょっと、もう、ちょっと、もうちょっと。

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