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 祖父の家は、中原街道沿いにあります
前庭は中原街道の拡張工事の時に、削られてしまいました。
 今は道路となった庭、父が子供の頃は毎朝、焚き火したそうです。
祖父は山の仕事をしていましたから、燃し木がいっぱいあったそうです。
 山の持ち主の依頼で、木を切る、ヒノキなどは船の舳先に買い手がある。
それで祖父は、自転車でよく横浜まで行っていたようです。関東大震災の時も青木橋にいて、自転車でやっと帰って来た、と言う話です。
 一本の木を切ると、細かい枝や根や、大量の焚き木が大量にできたと思います。
焚き火には、学校に行く前に近所の子供がみんな集まり、石を火にくべて焼き、新聞紙に来るんで、懐にいれカイロにしたそうです。       また、その庭では、江ノ島から、自転車で魚を売りに来り人が自転車を止めて、商売する場所でもあったそうです。魚を捌いたアラを祖母はいただいてたそうです。
 また、裏庭には、和泉川の支流が流れています。裏庭に鶏が放し飼いされていて祖母が卵をとってましたが、川に、いたちがでて、鶏を獲ってしまう事があったそうです。
私の記憶では夕方になるてと祖母が鶏をとーとと、とーとと、と追って囲ってました。昭和30年代、あたりには、茅葺き屋根のお家もまだまだあってのどかでした。