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二ツ橋

 これは明治初年の二ツ橋村の地図です。明治政府に提出した、偵察録。村に警察のような役割の方がいて、作成したそうです。
 二ツ橋は、今は、相鉄線の駅がなくなったため、あまり知られない地名ですが、中原街道と鎌倉街道があり、交通の要です。
 かつて鎌倉街道の旧道と新道に2本橋がありました。徳川家康さんが、鷹狩に来て
  しみじみと清き流れの清水川
       かけ渡したる二ツ橋かな
と、よまれました。藤沢には、徳川家の別荘があり、中原街道を使って行き来していました。地図に美屋古山とありますが、家康さんが、楽老峰と名付けた、と。富士山を望む水が豊かで美しい地です。
二ツ橋に宿があった為もあり、天領でした。幕府直轄の村。
 それは、幕府の一行がくると、村人で、割当てて、馬の世話をしたり、エサや藁やら、集めてこなくてはならかったそうです。検地も厳しかったようです。
 今の瀬谷区役所のあたり、は萱の自生地です。字茅野と言う地名でした。梅雨どき、刈っても刈っても萱がおいしげります。藤沢御殿の屋根の吹き替え時は、やはり、供出したそうです。

この写真は、三ツ境駅踏切脇、少しでも、地面があれば、萱は、茂ってきます。
 三ツ境が開けるのは、戦後の事で、二ツ橋停車場には、市場、劇場などあり、呉服屋さん提灯屋さん、なんでもあったそうです。