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根を磨き出して花台に加工

趣味で根を磨き出して、塗装、加工した花台を叔父が持ってきたのは、何十年前の事だろう、間違いなく、昭和。
一昨年、父の91歳のお誕生日に、男兄弟が集まり食事した際の叔父の話です。
祖母は、9人の子供をうみました。
男6人.女3人。
この根っこを加工した器用な叔父は、四男さんです。
懐かしい話から、その叔父が子供の頃から、トラックを運転していた話になりました。
祖父母の家は、山の仕事をしていた為に、早くから3輪トラックを持っていました。村で2台しかないうちの1台です。
祖父母の家は、中原街道沿いにあります。中原街道、今は片側2車線の立派な道路ですが、当時の中原街道は、まあ、昭和40年頃までも、私の記憶でも、両側から大木がうっそうとおおいかぶさり、昼尚くらい、山道のような、道だったんです。中原街道がそんなですから、祖父の家の周りは、やっとトラックが通れる、クランクだらけの坂道ばかりだったと思います。
そして一ヶ所トラックが曲がりきれない場所があったそうですが、器用な叔父は小学生ながら、見様見真似で上手に運転してたそうです。
それで、徴兵され、戦後も、シベリアに抑留されていた、長男さんが帰って来た時に、長男さんに自分がそこの曲がり方を教えた!と言う話です。
その叔父はもちろん、しかるべき時に、運転免許を取得しました。そして中原街道が広がる時、祖父の家の庭も道路になりました。

後から考えて、戦争中、いったいどれほどの混乱と困難の中、人々はどのように生きてこられたか、と思いました。