戸嶋靖昌 の絵について

近くで見ると、黒や灰色が厚塗りで塗りたくってある感じで、何が描いてなるかよくわからない絵なんだけど
少し離れたところから見ると
鬱蒼とした森の中に、光が差し込んでいる風景が浮かび上がってくる
人間の眼って、遠くから例えば海を見たときに、綺麗な海だなーって思うのは実は、自分にとって必要ない部分は見てない、またはざっくりと省略して捉えている訳で、細部を細かくくっきりと見ているから美しい訳では無いと思うんだけど、戸嶋靖昌は、まさに最初から画面の上でその省略を行なっていて、離れて見たときに心の中に浮かび上がるようなうつくしい光を描き出す事に成功している。
いくらでも細部をくっきりと描きだすことはデジタル技術で出来るようになりそうで、でも細部をいくらくっきりされせたところで、人間の眼に映り、脳で判断する



というものを表現できないのでは無いか。
戸嶋の絵はそういうことを考えさせる。
彼がそれを表現したかったかどうかはわからないけど、私はそう見ました。
今ちょうど、
ワークシフト
という本を読んでいて、ロボットや人工知能と人間はどう付き合って行くのか、という事も考えている事もあって、
人間にしかできないのはやはり、
ざっくり省略して、自分が見たいところだけを見る能力なのでは無いか
美とは自分が現象の中からどの部分を選び取るかにあるのではないか
ということを考えさせられた。
美に限らず、例えば愛情もそうで、デジタル的な相手の行動を分析すれば、100回嘘を付かれ裏切られても
肝心な一回に自分の心に響く行動をとった事に自分で大きな意味を持たせる事があるから愛情を持てるところもある訳で
絵も同じなのでは無いか
それこそが人間にしかできない事なのでは
と、考えました。
なぜ、黒や灰色を塗りたくっている絵から
遠く離れて見ると光が見えるのか
緑色を使っていないのに
鬱蒼と生い茂った樹木の薫りや苔の匂い、ひんやりした感触まで伝わってくるのか
人間の感受性の無限の可能性を感じた。
またそれは、
黒を描く事で光を感じさせる、
日本画の墨を塗る事で月の光を表現する
っていう事にも通じる気がして
印象派が描こうとした光とはまた違う日本人の感性が、根底にあるのかもしれないなーと思った。

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