場所を変える「締め切り」効果

テレワークが世間に受け入れられ、すると、
「通勤は、生産性追求の妨げでしかない。有害である」
という声(ばかり)を多く聞くようになりました。

これは、
「会社の事務所に行かないと、仕事に身が入らない」
という旧来の常識に対するアンチテーゼです。
既成の常識をわざわざ、あえて否定するために、声高に言われている印象があります。というか、強調され過ぎています。

べつに「だから、テレワークはダメなんだ。オフィスに帰れ」と言いたいのではありません。
何事にも表とウラがあって、それらの組み合わせを操る、イイトコ取りをしていく必要がある…、働き方を自らマネジメントしていく権利を得たのだ、選択肢が増えたのだ、と捉えたいと思います。

ぼくはこの夏休みに、奈良に2泊、京都に3泊、大阪に5泊します。
大阪には明日から行きます。
これは、パソコンで作業をするための旅行です。

「締め切り効果」というものがあるらしく、締め切りが明確にされると、ひとは生産性が上がるそうです。
切羽詰まって焦ったことにより、頑張れてしまう。経験的にも、頷ける知見と思います。
極端な話、「この作業を1週間でやってね」というと、ダラダラしてしまうけれど、作業を5分割して、「1日目はここまでやってね、2日目はここまでね」と締め切りを設けていくと、シャキッとする。ここでは、マネージャーが部下に指示をする、みたいな書き方をしましたが、べつに、自分で仕事を切り分けて、自分と約束をすればいい。
1日でも長すぎるならば、午前と午後に分けてもいい。どこまで切り分けるのがベストかは、作業の内容とか、自分のキャラクターによって決まると思います。あまり寸断しても、管理する手間のほうが大きくなってしまって、本末転倒になるでしょう。

ホテルを予約してしまって、強制的に場所を変える。この環境で、この作業に取り組める時間を、(じつはわざと自分で区切っているのだが)不可抗力、強制力を働かせて、やや暴力的に区切る。すると、締め切り効果が働いて、作業が捗ります。

テレワークは、たしかに、通勤地獄とか、職場の「空気」といった、生産性の妨げから、ぼくらを解放してくれました。
しかし、何時になったら家をでなければ/オフィスを去らなければならない、という時間と場所の制限は、じつは、生産性にプラスに働いていたんだなと、そういうことを反面で気づいたりもしました。

テレワークは、同じ場所、生産性の上がらない場所、不快な場所に、強制的に通わされることから、ぼくたちを解放してくれるわけですが、
解放された後は、自分が行きたい場所、生産性が上がりそうな場所、快適な場所を、自ら選び取って、転々としていけばいいのではないか。ずっと自宅にいることを、自らに課するならば、それはそれで、生産性のジャマになるのではないか。
平たくいえば、「自宅にいることに飽きる」こととなり、全部が台無しになるのではないか。自宅に飽きてしまったら、それはもう悲劇ですよ。
…などと思いながら、明日の大阪行きのバスの時間(約23時間後)を気にしながら、いまは、名古屋の自宅でできる作業、するべき作業を、せっせと、こなすのでありました。