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思い出話 漫画研究部の顧問編

忘れないうちに文章にした方がいいんじゃないか?という自分の中の思い出を綴る。今回は我が高校の漫画研究部の顧問の話。

漫画研究部の顧問の先生は日本史の先生で、おじさんとおじいちゃんの間くらいの先生。50代後半くらいだったと思う。日本史は3年生で習うから、3年生まで得体のしれない先生のままだった。

1年生で入部したとき、1年で2回くらいも顧問の先生の顔を見なかった。というのも漫画研究部は部活なのに愛好会と常に勘違いされるくらいの存在感で、しかも漫画研究部の顧問と言ったって美術部みたいに何かを教えることもないわけだから、部活に顔を出す必要は何もない。だから先生に会わなかった。
先輩たちが顧問の先生に対して怯えているような情報があったため、怖い人なのだと思っていた。何か打診するとき、すごく嫌そうだった。でも後になって、それは先輩たちが話に行くのが遅いからだったんだろうなと思った。

3年生になり漫画研究部の副部長となった私は、部長と一緒に度々先生のところに顔を出すようになる。それとは別に委員会の委員長になった私は職員室に入り浸る時間が長かったため、先生に話に行くことに何も臆さない人間だった。何がしたいか、どういうことがしたいか、先生にしっかり話をするとちゃんと聞いてくれるし、ちゃんと要望を叶えてくれた。
実は誰も使っていないけれど部活でペンタブを所持していて、それを使ってみたいからパソコンを繋げるケーブルとノートパソコンと、それと空き教室も貸してほしいと打診して、全部貸してもらったとき。こんなことできるのかよ、と3年間活動していた部活なのに新鮮な感覚だった。今までの先輩たち、何してたんだろうなって、思いましたよ。学園祭の時も多分色々要望を聞いてもらったりしたんだと思う。私たちの代はいい関係を築いていた。そうじゃなかった先輩たちは、損してたなって心の底から思う。いい先生だったよ。

一方授業も日本史の授業は先生が2人いて、クラスごとに請け負う先生が違ったのだけれど、うちのクラスだけその先生だった。多分。皆は1ミリも知らない先生が来たぞ……、誰だあの人……と怯えていたけれど、私だけ「うちの顧問だよ!」と知り合いのような気分だった。授業中小型のマイクを使っていたんだよな。確か。ピンマイク使うような先生が他にいなかったから、ざわざわしてたけど、声張らなくていいのならいいよね。年だから。別にぼそぼそ喋ってることもなかったけどな。今思うと、話をする機会はそんなになかったし、全然恩師と言うほども関わっていないけれど、好きな先生だったな。私は中学受験の時社会が超得意教科だったから日本史は好きだったけど、実際成績どうだったんだろうな。顧問の先生が担当してる授業で成績悪いと、すごい印象悪いからな。

そんな先生のエピソード。今回の本題。
結構ダジャレとか好きなイメージはあったけれど、みんなにとって知らない先生だから、みんなも多分怖い人だと思っていた部分があったと思う。そんな機嫌悪く怒ったりすることもなかったんだけど。そんなある日、私の席の周辺で「今日の先生、機嫌よくない?」という話になった。言われてみればそんな気もするし、でも普通じゃない?という気もする。
もし先生が機嫌がいいのであれば、何があったと思う?と考える。授業中に。前の方の席だった気がする。度胸ある~。
そして「もしかして今日、誕生日なんじゃない!?」という話になった。
それだ……、と結論付けた私たちは、授業終わりに聞いてみた。
「先生、今日誕生日ですか?」
「違うよ。」

誕生日ではなかったし、事情を話したら「誕生日なんて嬉しい日じゃない」と言われた。ティーンズには分からない感覚だけれど、年を取ればとるほど、誕生日だからってなにもないし、年齢を重ねることに何のプラスもないじゃんと思うようになるものだと分かるのは20代になってから。
職場で父親より年上の人に誕生日の話をすると、同じような返事をするもので、大人ってそういうものなんだなと思う。ちなみに父に還暦の誕生日を祝うメッセージを送ったら、既読無視された。よほど嬉しくなかったんだろうなと思う。
私も正直、誕生日自体は嬉しいことがあったとしても、年齢が増えることに対して嬉しいことは本当1ミリもない。でもまだ誕生日に上機嫌になっちゃうだろうから、私もいつか「今日誕生日ですか?」って聞かれて、「違うわ」という日が来るのかもしれない。

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