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4本ジャ:練習の切り替え時@楽器独学

40過ぎて本気でジャズに取り組むノート。ふと見返してみたら正確には43歳と半年から始めている。最近は日暮れて道遠しとは思わない。手応えがある。いいことだ。

前に練習で一番大事なのは時間だ、みたいなことを書いた。日々の生活サイクルのどこに練習の時間枠を確保するかは確かに大事。間違っちゃいない。でもちょっと議論がズレてるよね。

先日、練習が行き詰まった感があった。こだわっていた枯葉12キー練習(バッキング/スケール)を思い切って捨てたら気分が楽になった。

何が悪かったのか。枯葉12キーは正しい練習だ。これをしっかりやろう。仕上げよう。これだ。ここが危ういのだ。一つの練習に固執するのは間違ってない。でも刺激がなくなった時点で惰性になっていたのかもしれない。

時間を消費するだけの惰性の練習になってしまっていた。この練習でピアノ技術が底上げされたのも間違いない(と思う)。しかし惰性はダメだね。

「効いてる」練習が「惰性」となる境い目は限りないグレーゾーンで、パッと分かるものじゃない。惰性の兆候の一つは楽しくないことだろうか。義務感だけでやり始めたら要注意だ。練習を洗い替える必要があるかもしれない。

練習をコロコロ変えるのは良くない?軸がしっかりしていればいいんじゃないかな。軸になるのはスケールとコード、そしてテンション。Youtubeを見て刺激を受けるのも良い。

ただし「楽しい」と「ラク」は違う(嗚呼また体育会系の例えになってしまった)。何となく弾き散らかすのは一番良くない。でもスケールを探求するためにルバートで色々やってみるのは正しい練習だ。この境界も微妙だな。やっぱり心構えというか練習へのスタンスが大事ということか。

今僕はペンタトニックに着目した練習を始めた。当たり練習の手応えがある。Youtubeのお陰だ。

ただしYoutubeの情報は鵜呑みにはできない。教えている内容は正しくても「初心者向け」と言ってもレベルが高過ぎることがよくある。

まとめに入ろう。どれだけ良い練習に思えても、固執する必要はない。完璧に仕上げる必要はない。楽しくなくなったら次の練習に移れば良いのだ。罪悪感を持つ必要はない。良い練習は手応えがあって楽しいのだ。きっと。

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