「甲斐荘楠音の全貌」展に行ってきた

大正~昭和を生きた異才、甲斐荘楠音。
「妖しい」とも形容される女性像を前にして試されるのは、鑑賞者の美的感覚そのものだ。「美しい」とは何か。「醜い」とは何か。

「美術」という二文字に込められた意味が揺さぶられる。いったい自分は何に魅了されているのかわからないまま、絵の前に佇んで目を離すことができない。

少なくとも伝わってくるのは、彼が表現したかったものが従来の美人画の枠に収まらなかったということ。なめらかな肌だけではものたりない。つややかな黒髪だけでは芸がない。

生のもつ「生々しさ」「生臭さ」こそ、甲斐荘楠音という稀代の画家にとって最大の画題だったのではないか。直筆のメモが、その世界観を端的に言い表している。

肌香(はだか)。匂いが溶けてゆく。流れる匂い。

むせかえるような蠱惑のにおい。悪意さえ感じるような耽美。画家の透徹した観察眼は、女性の――いや人間本来の不気味さ・グロテスク性を描き出してしまった。

実際、同時代の評論家には「きたない絵画」と残酷な言葉によって切り捨てられた。深く傷ついた楠音は以降、画壇とは距離を置き時代考証家として映画界で生きていくことになる。(個人的感想だが、この狭量な見識によって鏑木清方クラスの「美術家」を日本画壇は失ったのではないかと思う)

代表作『横櫛』の微笑みに、あなたは何を感じるだろうか?

東京ステーションギャラリー開催の回顧展は8月27日(日)まで。





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