その正論は相手に届いているか

「おれは性善説どころか人間のことなんてを信じていないんだよ。自分自身がいい人間じゃないからこそだよ。・・・(中略)社会に戻ってこなくちゃいけない犯人がいるなら出来るだけ他の人が平和に暮らせる方法を考えた方がいいと思うんだ。そいつが幸せじゃないとこっちが困る」

逆ソクラテス(伊坂幸太郎)で、磯憲という名の教師が言った言葉。

この言葉を子どもに言う先生ってどう?

ダメ?
正しくない?
子どもに言うには相応しくない?

少し考えてみたいと思います。

正論は届いているか

人を殺してはいけない。
いじめをしてはいけない。
みんなに親切にしなければいけない。

全て正しい。全くの正論。
でも、その言葉は子どもたちに届いているのかな。

子どもたちと接していて、「ダメなものはダメ」、「先生や親が言っているから」という理由だけでは太刀打ちできなくなってきているよなっと思うわけです。

もちろんいじめは絶対にいけないし、そこは毅然とした態度が必要です。はい。
それは、わかっています。

情報があふれていて、価値観が多様になっている今、

「あなたにとって得」といった視点を示すことができるか
が重要です!

ここ結構大切!具体的に考えます。

いじめを例に考えてみるね。

「いじめは絶対にいけない」と100回、1000回強く言っても、伝わっていなかったら一緒。苦しんでいる子を救えない。

じゃあ、「いじめ」をやらないように指導するには、

「いじめをしないことがあなたにとって得」ということを伝えるんです。

どういうことか論理的に説明すると、

あなたが「いじめをする」ということは、その集団で「いじめる」という行為を容認することになる。
力関係なんてすぐに変わってしまう。
すると、今度はいつ自分が虐められる立場になるかわからない。

「いじめ」が容認される集団で生活するのは、しんどいよね。こわいよね。「あなたにとって損」の状態だ。
だから、いじめをしないことは結局「あなたにとって得」なんだよ、ってこと。

「人を殺してはいけない」

で考えたらもっとわかりやすいかな。

「人を殺してはいけない」も同様で、人を殺すことが容認されている社会では、こわくて外に出て出れないでしょって話。
人とすれ違うときにずっとビクビクしないといけないし、常に命の危険を感じながら生活なんてできないでしょってこと。

その人の未来を奪うとか、周りが悲しむからとか、ダメなものはダメとか・・・
全部100%正しいだけどね。

結局一人でも多く救うためには正しい言葉(正論)をふりかざすだけでは不十分なときもある。
きっちり説明して、原理的に「あなたにとって得ですよ」って示さないといけない。

今、教室にはそんな言葉こそが必要なんじゃないかなと思います。

もう一度、磯憲の言葉に戻ります。

「おれは性善説どころか人間のことなんてを信じていないんだよ。自分自身がいい人間じゃないからこそだよ。・・・(中略)社会に戻ってこなくちゃいけない犯人がいるなら出来るだけ他の人が平和に暮らせる方法を考えた方がいいと思うんだ。そいつが幸せじゃないとこっちが困る」

どう?

どうしても許せない人とか、どうしても許せない同僚とかいるかもしれない。
だからって、その人たちに怒りをぶつけたり、不幸になること願ったりしていて、自分の得になるのかな。
嫌いな人が不幸になったら、結局その不機嫌を受けるのは周りにいるあなたなんだよ。
誰かが攻撃される環境をつくったら、自分がビクビクしながら生きないといけないいんだよ。

磯憲の言葉は教師としては、違和感を感じる人がいるかもしれない。
でも、磯憲みたいな一面も必要だし、磯憲みたいな言葉を語れるようになりたいと思いました。

どうしても許せない人の幸せを願うのは難しい。でも、磯憲の言葉から考えてみると、少しはみんなに優しくなれるかな。

そんな優しさが回り回って、少しずつ優しい世界になっていけばいいなと思いました。

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言葉の選び方や言い回しがやっぱり素敵でいいんですよね。
以下に、本文でグッときた言葉を載せておきます。

「僕はそうは思わない」

「転校してやり直そうとしているんだったらやり直させてやりたくないか」

「未来のお前は笑っている」

「人は他の人との関係で生きている」

「一番重要なのは評判だよ」

「いい大人が、小学生にあんなに顔を近づけて怒らないと教えられないっていう時点で恥ずかしい」

きっと本文を読んでみたらグッとくるはずです!

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