カゼマチグサの歌詞雑考。もとい菅原道真のダイマ

(以下、歌詞はすべて本人動画説明欄より)

いなくなったんだ いなくなったんだ
置いてかれたと思いはしないけど

ここまでをまず大鏡を交えて話します。

この大臣、子どもあまたおはせしに、女君たちは婿取り、男君たちはみな、ほどほどにつけて位どもおはせしを、それもみな方々に流されたまひて悲しきに、幼くおはしける男君・女君たち慕ひ泣きておはしければ、「小さきはあへなむ。」と、おほやけも許させたまひしぞかし。帝の御おきて、きはめてあやにくにおはしませば、この御子どもを、同じ方に遣はさざりけり。

大まかに(敬語とかいろいろ無視して)訳すと、
「菅原道真には子供がたくさんいて、娘たちは婿を取って嫁ぎ、息子たちはそれぞれ官職についていたが、彼らも別々のところに流罪にされてしまい、それが悲しくて幼い子供が道真を慕って泣いていたので、醍醐帝は『小さい子はいいだろう』と許した。(しかし)醍醐帝はとても意地が悪かったので、この子たちを(道真と)同じ方には行かせなかった」
となります。なーにが「いいだろう」だもとから無罪だバーカバーカ。

で、歌詞に戻ると、「道真がいなくなった。(左遷されたのだから)置いて行かれたとは思いはしないが」と考えられますね。
そのあとの「ひとりぼっち」や「頬は硬いまま」も大鏡に描かれる道真や子供たちの姿と重なります。つまり、この歌の語り手(歌い手?)は西(大宰府)へ行く道真を見送る側なのです。


季節を裏切るあたしはいらないから

「季節」も大鏡でしょう。先ほどの続きから載せると、

方々にいと悲しく思しめして、御前の梅の花を御覧じて、
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春を忘るな

という和歌があるのです。これも簡単に訳しますと
「道真はあれこれと悲しく思って、家の梅の花を見て(和歌を作った)
東の風(春を告げる風)が吹いたら、しっかりと咲きなさい。梅の花よ。
主(道真)がいないとしても、春を忘れないように」
となります。
「御前の梅の花」、これこそがカゼマチグサの語り手、つまり「あたし」(そしておそらくイコール鳴花姉妹)です。そして、「季節を裏切る」とは春になっても咲かないことでしょう。これは道真のいいつけ(春を忘るな)も破ることになってしまいます。
なぜ、「あたし」は春になっても咲けなかったのでしょうか。
この理由は飛梅伝説に垣間見ることができます。伝説の多くでは、桜は道真がいなくなった悲しみのあまり、たちどころに枯れてしまったというのです。(実際には手入れをする人がいなくなった、とかでしょうが)
「あたし」も衰弱して、ついに花を咲かせられなくなってしまったのでしょう。

さて、2番に入りましょう。

てきとうに笑ったって落ちるだけだよ

これもまた大鏡に乗っている道真の歌(今度は漢詩です。漢詩もできて和歌もできるとかやっぱ道真天才でしょ?)があります

駅長莫驚時変改
一栄一落是春秋

訳すと、「駅長(律令制の「駅」の長のこと)よ、時が変わるのを驚かないでくれ。一度栄えれば今度は落ちる(衰退する)のは世の道理なのだから」という感じになります。つまり、「てきとうに笑う」は単に笑うことだけでなくこの漢詩の「一栄」を指していたんですね。


風をずっと待っているの
遠い遠い町のあなたを飾るために旅立とうよ

一番の最後からずっと「風を待っている」「追い風を期待してみよう」という言葉がありましたが、その意味がここで明らかになります。
「風」(追い風も含めて)はすべて東の風のことです。
東の風に乗って行ける方角は西。「遠い遠い町」は、大宰府が遠の朝廷と言われたことも含まれているのでしょうか。そう、この「あなた」も菅原道真のことです。京都から、東の風に乗って道真のもとに行こうとしているのです。

飛梅伝説によれば、最終的に、梅は道真のところへたどり着いたといいます。
大宰府に流された後も、道真はたくさんの漢詩を詠みました。それらは菅家後集に収められています。では、最後に、道真の生涯最後の詩と思われる「謫居春雪」で終わりましょう。ここにも「梅」が歌われていることから、道真と梅の間のただならぬ関係が思われます。

盈城溢郭幾梅花
猶是風光早歳華
雁足粘将疑繋帛
烏頭点著思帰家

それでは、ぜひあなたも素晴らしい菅原道真ライフ(?)を送ってください。

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