唐突にTwitterを始めたから、同時に今度は唐突にココで記事を書き始めることにした話①(リアル友人がnote使って記事書いてて、それを読んだ影響も少しある)

みなさん、はじめまして、こんにちはこんばんはm(_ _)m

綾崎俊と言います。設定機能から、Twitterでの名前と同じにしました。

最初の記事ということで、現在までの経緯を分けて書きます。(長文の上に稚拙となります。すみません)


①まず小学生時、鬱病になった父親から、当時を振り返るとDVと言われてもおかしくないほど、小5の秋ごろから突然、中学受験のため勉強を強要させられた。食事以外の僕の時間は全て勉強に当てられ、家でトイレのために机から離れて机に戻ってきたらその度に怒鳴り散らされ、たまに暴力を振るわれたことを今でも覚えている。(小学校で僕はいじめに遭ってたのでそいつらと同じ中学に行かせるわけにはいかなかったのだろう、と今振り返ると推測出来る。未だに教えてくれないので、真相は闇の中だが)


②晴れて中学受験に受かり、中高一貫校に入学するも、苗字や容姿、成績などでやっぱり虐められた。一瞬だけど、登校拒否もした。中2の真ん中辺りではもう少なくなったけど。その、中2の真ん中辺りまでは、成績順位は真ん中より少し下で、部活動は中学受験の反動で太っていたため、痩せたいという理由で陸上競技部に入って曲がりなりにも精力的に練習はしてた。足は速くはなったが県予選に通るには到底及ばない程度だった。でも運動自体は小学生の頃から好きなので、練習内容はしんどかったが辞める気にはならなかった(部内の人間関係も良かったし)


③中2の冬辺りに、僕がいた中高一貫校は、中3の秋の期末テストまでに、上位70位以内に入れば、高校に上がった時、世間的に言う特進クラスめいたものに入れると言うのを聞いた。この事を、やっと鬱病が治り始めて社会復帰した父親に話したところ「目指してみないか?」と言われ、僕もその時までバカにしてきた連中を何かで見返したいという思いがあったから、「やる」と言って、そこから父親と一緒に猛勉強した。(中3の秋ごろのテストで、全科目平均点80点を取ったときには嬉しくて堪らなかった)


③その結果、見事高校入学で特進クラスに入ることが出来た。今でも「何でお前がここに居る?!」と、同じクラスになった人のみならず他クラスの人までもが寄ってきて口々に言ってきた時は最高にスカッとしたなあ…。「居ちゃ悪いかよ笑」ってつい言い返してやったのは良い思い出^_^


④その達成感の反動で、高校では全然と言っていいほど勉強しなかった。勉強時間より友達と駄弁ってる時間の方が明らかに長かったと思う。中3くらいからハルヒが大流行したのもあってオタク文化がメキメキ上がってた時代だったから余計に。


⑤そして、父親が九州の大学を出ていたこともあって、漠然と(ほんとは理由あったけど割愛)旧帝大の一つとされる難関大学「九州大学」を目指そうと思った。だから、中1から所属してた陸上競技部を高2の夏終わりくらいにやめて、そこから大学受験の勉強をするようになった。


⑥コレが全く上手くいかなかった…。現役時は普通に実力不足で受けることすら叶わず、浪人することにした。往復一時間半かけて予備校に通い、その往復時間もずっと英単語帳と睨めっこ。この時が、あの中2終わりから中3終わりまでの猛勉強を遥かに凌ぐくらいやってた。点数も徐々に上がり、模擬試験の判定も良くなって現実味を帯びてきた。「コレならイケる!旧帝大入ってさらに見返してやる!!」僕は燃えていた。でも、そこに不運が訪れる…。


⑦センター試験の前日の夜、何と僕は、ウィルス性の胃腸炎にやられ、救急に運ばれてしまったのだ!

痛過ぎて眠れず、結局朝の4時頃まで起きてて、センター試験当日のため6時には起きなければいけなかった。睡眠時間約2時間。「こんな状態で受けてもヘタしたら現役の時より酷くなる…でも、センター試験の追試の過去問はほとんど解いてない上に追試の方が本試より難しい…どうすれば…」その時、親が「ダメ元でいいから行ってこい」と言ってきた。腹括った、やるしかないと。この一年を無駄してたまるかああああ!と意気込んで挑んだ。結果…


⑧・・・あえなく惨敗!

まあ、ですよね笑

睡眠時間2時間でロクに頭も働かないのに点なんて取れるはずありません。てなわけで、1浪目はあえなく散り、この時は私立は考えてなかったから、人形のように心が無くなり、家内は荒れに荒れた。最後は、父親の「もう一回だけ立ち上がってみないか」という言葉より心を取り戻し、2浪目に突入するのであった…。


⑨そして2浪目、自分なりには頑張ったが、やはり1浪目ほど注ぎ込むことが出来ず、センター試験を受けて、一応九州大学受けてみたが、案の定不合格。そして、「流石に医学部目指してるわけでもないから3浪はダメだ」ということで、どこ受けようか迷った結果、従兄弟が通っていた私立大学を受け、無事合格。2浪した挙句国立大学に入ることが出来ず、私立大学(しかも医学部ではなく理工学部の化学の学科)に渋々入ることになりましたとさ。


とりあえず、まずは小学校〜大学入学前までをザッと書きました。ほんとは、幼稚園時代の出来事や、中高時代の出来事も結構あるのですが、そこら辺はまた別の時に書こうと思います。


では、次の、大学入学後〜大学3年終わり・研究室配属された大学3年終わり〜大学卒業・大学院進学決めてて大学卒業後1年休学・復学後〜大学院1年9月に中退決意&同時に就活開始・内定取った後気が狂ってしまった2019年11月〜2020年3月・2020年4月入社〜2020年6月解雇通知(現在)、というコレまた激動な話を、次回書こうと思います。


初めてブログみたいなことやっているので、拙いと思いますが、どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m


ではまた!!



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