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「気持ち短めで」と言いがちな人間
1ヶ月半ぶりに髪を切った。美容室帰り特有の、ほんの少し薬品っぽくも心地いい香りが、鼻腔にまだ残っている気がする。髪がいくらか無くなって、突如として始まった猛暑のこもるような熱気も軽減された。
「気持ち短めで」
椅子に座り、「今日はどうしますか」と訊かれると、おおよそこのように答えている。魔が差して、大幅に短くしたくなる日を除いては。年に数回訪れるこういう日は結局のところ、散髪後に強めの後悔というか、取り返しのつかないことをしてしまった感じが押し寄せてくる。 もっと言うと、切られている最中にストップをかけたくなるくらい。つい数分前、心機一転を図った思い切りの良い自分はどこへやら。
そんなわけで急激な変化をあまり好まない人間なので、「気持ち短めで」という表現に落ち着く。この「気持ち〇〇」という言葉。思えば服を買うときにも使っている。「これより、気持ち暗めの色ないですか?」と店員さんに尋ねることがある。髪を切るとか、服を買うとか、己の自意識との戦いを余儀なく迫られる場面で、どうやら僕はこの言葉を重宝しているらしい。
少し驚いたのだが、「気持ち」と辞書で調べると、この副詞的な用法についても載っている。
《副詞的に》 そう思ってみればそう感ぜられるほどに。
出典:『Google日本語辞書』
他にも、「少し(コトバンク)」や「ほんのわずか(goo辞書)」と示している辞書もあるけれど、上の「そう思ってみればそう感ぜられるほどに」というのが、個人的には一番しっくりくる。
「今日はどうしますか」と訊かれたとき、「いつも通りで」とお願いすると、散髪による変化は期待できなくなってしまう。その一方で、あまりに急激な変わりようには、自分の心が追いつかない。ということで、辛うじて自分が感じ取れるくらいの変化を期待するのが、この「気持ち〇〇」という言葉なのだろう。思い切りに欠ける人間にとっては、なんとも有り難い表現だ。
思えば、ほぼ毎回「気持ち"短め"」と頼んでいるので、回を重ねるごとにだんだんと短くなっていっても良さそうだ。でも、そうはなっていない。「気持ち短め」は実質的には、「いつも通り」と同じ意味の言葉なのだろう。
ただ、自分の中で短くなっていると思えれば良さそうなので、「気持ち短め」はこれからも重宝しそうだ。
というか僕は、髪を短くしたいのだろうか。
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