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丸めた紙を投げ続ける

計算用紙として使用していた紙の余白がなくなる。すると、その紙をクシャクシャッと丸め、ゴミ箱めがけてポイッと一投。

塾講師として働いていると、生徒がこうしているのを時々目にする。紙をただ捨てるのではなく、ボールに変えてちょっとした遊びにしたいのだろうか。楽しそうなので、そのまま見ている。


時折、この光景を見ていると少し驚くことがある。例えば、放たれた紙のボールが、ゴミ箱のかどに当たって床に落ちる。落ちたボールは、ゴミ箱から数センチといった距離だ。       にも関わらず、それを拾ってそのままゴミ箱に捨てると思いきや、拾ったまま再び先ほどの位置に戻る。そして、投てきを再開するのだ。「いや、そこまで行って捨てないの?」とツッコミを入れたくなる。

僕も家でたまに、ゴミを箱に向かって投げ入れたくなることがある。そうして、もしゴミ箱近くにものが落ちたら、間違いなくそのまま拾って箱に入れる。改めて場所につき直して、もう一投とはならない。この再度の投てきこそ、「若さ」なのだろうか。


さらに進むと、投げるのが楽しくなったのか。 とうとう、何も書かれていない未使用の裏紙を丸め始める子が現れる。計算やメモ書きをするためといった裏紙本来の目的は捨て去られ、その紙はボールとしての役割をまっとうする。


こうして始まった投てきの終わりは、ボールが無事、ゴミ箱に入るか。あるいは、生徒が諦めるかのどちらかである。ただ、この「諦め」というのは、なかなかに訪れない。そんなわけで、もうボールが入るほか終わる方法は無いので、「早く入ってくれ」と、投げている本人よりも僕の方が願い始めるという奇妙な現象が起きる。

「いつまでやるんだ」とか言いたくもなるけれど(実際に言うことも)、これはもう決めたことをやり抜く「粘り強さ」と言ってもいいのかなと思えてくる。たぶん本人たちは、純粋に楽しんでいるだけなのかもしれないけれど。


いま、僕は就職活動中なのですが、就職活動について考えていたら、この「粘り強さ」を見習った方がいいのかなとなぜか頭に浮かんだので、書きました。



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