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出会いは大切‼ 私はこうやってバス釣りを始めました。バス釣りに出会ったときのお話 (後編)

こんにちは小森嗣彦です。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。この文章を通じて「こんなことを読んだところで、実際に釣りが上手になるわけではない」と感じている方も少なくないかもしれません。確かに、直接的な技術向上にはつながらないかもしれませんが、私が初めてブラックバスを釣り上げたときの感動は、私の人生において忘れられない瞬間でした。このような体験を共有することの価値は、言葉では表しきれないほど大きいと私は信じています。まあ言うなれば、このストーリーがバスプロ小森嗣彦のレシピみたいな感じで読んでいただければと思います。このお話を読みながら、自分とバスとの出会いをなどを思い出していただければと思います。

さて私がバス釣りに出会ったときの話、後編です。

私の対象魚がライギョからブラックバスに変わったおかげで、ブラックバスの情報が集まるようになりました。当時の小学校は1学年4クラスで約160人もいたわけですし、それぞれ兄弟がいる人も多かったので、クラスで聞いてまわると、瞬く間に多くの情報が集まり、同級生でもバス釣りを体験したことのある人を見つけることが出来ました。また、兄弟や親がやっているという人も数人いました。ブラックバスという名前を教えてくれた先輩も結構バス釣りには行っているらしく、それを私も狙ってみたいというと、使わなくなったワームとワームフックを少し分けてくれました。使用済みといえど、この頃にそれはとても貴重なアイテムでした。釣り道具屋さんは自転車で30分くらい走ったところに一つありましたが、ルアー釣りの商品などは置いていませんでした。もう少し離れたスーパーにも釣り道具屋さんが入って、そこには少しルアー用品がありましたが、それを買うほどのお金は小学生の私は持っていませんでした。ただ、私が住んでいたところが兵庫県の神戸市だったことはこのあとバス釣りいのめり込んでいく上では幸いでした。この地域はブラックバスの歴史が比較的古いうえ、今でこそ釣り禁止のところばかりですが、ため池などがとても多くあり、関西のバス釣りの情報発信源でもあったからです。

このとき私が使いはじめたタックルは1.6mほどのスピニングロッドと小さなスピニングリールでした。メーカーは覚えていませんが、ルアー専用のものではなく、海釣りをする父から譲り受けたものでした。しばらくはこのタックルを持ってフィールドに出かけました。ルアーは先輩からいただいたワーム2本とワームフック、それからルアー釣り入門という本を見よう見まねで空き缶から作ったスプンがいくつかと、買ってきたスプンが2つ。なぜスプンが多いかというと、ライギョの釣り方としてスプンがルアー釣り入門に紹介されていたからです。今思えばその本は適当な内容でした。なぜなら、ほとんどの魚に対して有効なルアーはスプンと書いてあったからです。当時のルアー釣りに対する理解度は、きっと多くの人がその程度しかなったのかもしれません。もちろんブラックバスにもスプンが有効ともれなく紹介されていました。それを見たら幼い私はスプンがルアーの基本なのだろうと思いますよね? これだけあればいろいろな魚も狙えるし、まさに万能なルアーだと。なので最初に覚えたルアーはスプンです。そしてスプンは作るにも買うにもシンプルで安価だったことも助かりました。

それからしばらくして誕生日プレゼントにプラスチックのいわゆるルアーを母が買ってきてくれました。アルファベットが並ぶこのルアーの名前は当時から覚えていませんが、形から今思えばヘドンのクラッタータッドだったかもしれないと思います。もしくはそれに似せたどこかのルアーかも知れません。リップとボディーが一体になったタイプで、ボディーがへの字型になっているのが特徴でした。このルアーは勿体なくて実は一度も投げたことがありませんでした。今も大切に倉庫に保管してあります。
しかし似たような形が多いルアーの中で、この形や同じくヘドンのタドポリーのような形はその後あまり見たことがありません。これらのタイプのルアーが世の中から消えたのはなぜでしょうか…これはまたそのうち考察したいと思います。

最近ではバスの釣り方に関する理解が深まっているため、ルアーショップの店員が最初のルアーとしてスプンを推薦することはほとんどありません。しかし、バス釣りを始める際に基本的な知識を少しずつ増やし、その知識から必要な道具を集めるというプロセスには今も昔も変わりありません。必要と思っているものは予算に合わせて買う、必要だけど手に入らないものは作る、私は釣りはそうやっていくものだと思っています。今でも必要な道具が市販されていない場合は、3DCADを使って作ることがありますが、昔は木を削って自作していました。プラグのようなものを木を削って初めて作ってみたのもこの頃でした。ただ本を見よう見まねで形だけのルアーでしたが、こうやって少しずつアイテムが増え、バス釣りの格好はできてきました。しかしブラックバスがいると聞いた近くの池や、ライギョを見た池に通えど、私はしばらくの間、ターゲットに出会えることはありませんでした。

いつか釣れるという確信もなく、スプンを沖へ投げて巻いているだけでは普通は釣りに飽きてしまいます。私は今フィッシングガイドを行っていますが、「ここ魚いますよ、釣り方はそれでいいですよ」とガイドさんが側にいてそう伝えることで、ゲストさんが確信をもって釣れるまでそれをやって釣ってくれる、というのを何度も体験しています。やっていることが正解に近いのか、それとも完全な間違いなのか、それすらわからないと釣れるまで続けるというのはよほど呑気な人でないとできないでしょう。釣りは短気な人ほど向いている、などと言われることがありますが、私はこれには異論があります。きっと私が短気ならここで投げだしていたと思うからです。しかし、わからないことを続けるほど呑気な人が釣果を上げるとも思ってはいません。釣りには必ず正解がいくつかあり、それに近づくほど結果が伴うものですから。この頃私を動かしていたのは、そのうち釣れるだろうという呑気さでもなく、いつかきっと釣れるという信念でもなく、ただブラックバスを釣ってみたいという一心だったと思います。

ライギョを見たあの日から一緒に釣りに興味を持ってくれた友人たちの間でも、そのうち釣れないブラックバスの話など話題にもあがらなくなっていました。それでも私はこの釣りに対してとても執着心があり、一人で池に通い続けていました。そんな中、始めてブラックバスを見たのはバス釣りへ行くようになってから1年近くたったある日のことでした。私は5年生になっていて、2つ下の3年生の子が同じ池で釣りをしているとき、すぐ近くでそのターゲットを釣り上げたのでした。その子は以前からバス釣りをやっているようで、装備も私よりはるかに揃っていました。タックルも私のようなスピニングタックルではなく、ベイトタックルという、ピストル型のハンドルに上を向いてリールがついているバス釣り専用のタイプでした。私もベイトタックルにはとても憧れを持っていました。そんな羨ましい装備をした年下の子に目の前で夢の魚を釣られ、子供心にとても悔しかったのですが、そのブラックバスをもっと近くで見たいという誘惑がプライドを勝り、その子にお願いしてしばらく魚体を観察させてもらいました。緑と黄緑がかった体と真ん丸な目、そして大きな口と唇、形のいいヒレ、背中の棘、体の表面を流れる水滴が神秘的な輝きをもち、全てがキラキラして見えたことは今でも鮮明に覚えています。30㎝くらいの大きさでしたが、それはとても大きく立派に見えました。釣り方はスプンではなかったですが、そんなことより魚体の魅力に
全てを持っていかれ、それを聞くことすら忘れていました。

それからその池へずいぶん通ったのですが、私はブラックバスをまだしばらく手にすることはできませんでした。アタリはあったのかもしれませんが、それをアタリだったと認識する能力もなく、ブラックバスとはそれ以降、接点がないまま小学5年生の時期が終わりました。人には私の趣味はバス釣りです、と明確に答えているのに、そのターゲットであるブラックバスは結局釣ったこともないのです。しかし、この成し遂げることのできない悔しさを感じつつも、その目標に向かって粘り強く向き合いっていた時間こそ、私の人生において努力を重ね目標を達成するという喜びを教えてくれたのだと、今となっては強く感じています。


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