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生きる演技、死なれちゃったあとで、ひとが詩人になるとき

4/24(水)の毎日新聞夕刊文芸時評欄にて、3冊書評が掲載されております。
次の3冊をあげました。

①町屋良平『生きる演技』(河出書房新社)
②前田隆弘『死なれちゃったあとで』(中央公論新社)
③平川克美『ひとが詩人になるとき』(ミツイパブリッシング)

こんな小説を書いていたら、常人なら狂う。
かつて、大江健三郎『万延元年のフットボール』を読んだときにそう思ったのですが、それ以来でした。
この熱量で文章を、小説を書いていたら狂ってしまう、①を読みながら、強くそう思いました。

町屋良平という作家に、いつもわたしは試されているような気がします。
何かにあてはめようとすると、たちまち姿を変えてすりぬけていく。
何かを語ろうとすると、すでに別の声色で、まったく別の物語を語りはじめている。

好き嫌いは分かれるかもしれませんが、今年一番圧倒されました。
個人的には、これを超える密度の作品には、今年はもう出会わないと思います。

②は同人誌版で読んでいましたが、書籍化したとのことで、あらためて初読のつもりで読みました。
子どものころから、あらゆる死が怖いです。
自分が死ぬことも、相手が死ぬことも、それらにまつわるすべてが怖い。
なので、死が主題になっているものはなんとなく手が伸びてしまう。わかりたいのです。死とは何か、なぜわたしは死が怖いのかを。
著者の淡々とした語り口が…こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、とても心地よいです。
人の数だけ生があることとまったく同じように、人の数だけ死があるのだということが、すとんと腑に落ちます。

③では、現在連載中の「まばたきする余白」で、本当はやってみたかったけどとてもできそうにない、というようなことが、なんと端的に、綿密に形になっているのだろう…と感嘆しました。
詩人について知るという意味でも、詩人について書くという意味でも、道しるべにしたい一冊です。

以上、有料記事で申し訳ありませんが、下記からお読みいただけます。ぜひ!

https://mainichi.jp/articles/20240424/dde/014/070/005000c


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