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永瀬清子「彗星的な愛人」

港の人連載「まばたきする余白 卓上の詩とわたし」の最新回が公開されています。

12回目にしてはじめて、「荒地」以外の詩人、永瀬清子の「彗星的な愛人」をとりあげております。

永瀬清子の詩には個人的な思い出がいろいろあって、以前に「何を読んでも何かを思い出す」にも書きました。

生活者であることと芸術を志すこととは、相反しないものだとわたしは思っています。

日常や暮らしときれいにむきあうかたちで、「苛烈な情愛」や「絶対的な孤独」も存在すると思っています。

僭越ながら、永瀬清子の詩やその生き方に、少しだけ近いものを感じていました。わたしが感じるその近さについて、書いてみました。

この連載をはじめたときに、自分には詩論は書けない、ということを前提としました。だから詩とむきあうための自分の言葉を、その詩に恥ずかしくないかたちで、さしだしたい。

「荒地」からひとまず離れて、その原点に少し返ったような気持ちで書きました。

読んでいただけたらうれしいです。

2月17日が、永瀬清子の誕生日であり命日である「紅梅忌」でした。
今年はこの日に、岡山の「清子の家」が再オープンしているそうです。いつか行ってみたいと思います。



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