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『みどりいせき』、『ともしい日の記念』、『白い箱』

告知が遅くなりましたが、2/28(水)の毎日新聞夕刊文芸時評欄にて、3冊書評が掲載されました。
次の3冊をあげました。

①大田ステファニー歓人『みどりいせき』(集英社)
②片山廣子/早川茉莉編『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』(筑摩書房)
③正岡豊『白い箱』(現代短歌社)

①は初出の『すばる』で目にしたとき、読めるかなあ、と、はじめは正直思いました。
読んでみたら、とくに季節や風景の描写がとても静謐で、饒舌な口語との対比に驚きました。
そして、とても切実に「いま」を伝えようとしていること、生きていること、いつか死ぬことの悲しみを、表現するのにいちばん近い方法が、おそらく著者にとってはこの饒舌な口語体だったのだろうと思いました。

そうなると、著者にとっての「いま」はその都度うつりかわっていくはずで、きっと30年後には30年後の「いま」に手を伸ばすためのいちばん誠実なやり方で、この著者はまったく違う物語を書くのかもしれない、その物語も読んでみたい、と思いました。
素晴らしかったです。

『燈火節』の片山廣子の随筆を、文庫のかたちでいま読めるとは思いませんでした。②は、その喜びをこめて書きました。
それまで自分では意識していなかったのですが、片山廣子の名を知ったのは、たぶん芥川龍之介の評伝です。ちょっとうまく一致していなくて、あっ、『燈火節』の片山廣子って、あの片山廣子か!と気づいたのはまあまあ最近のことです。

③の正岡豊さんの名は、穂村弘さんの歌論などを少しでも読んだ方なら、まちがいなくご存じかと思います。

かれこれ20年ほど前に短歌を詠んでいたことがあります。そのころ知り合った歌人の方に、
「あなたは絶対に正岡さんの歌がすきだと思う」
と言われたことを、とてもよく覚えています。

当時は幻の第一歌集であった『四月の魚』を、三月書房をはじめ、さまざまな書店で探しましたが見つけられず、後年、風媒社が刊行していた『短歌ヴァーサス』に、たしか全作品が掲載されたあと、書肆侃侃房さまが「現代短歌クラシックス」シリーズとして復刊してくださいました。『四月の魚』を未読の方は、こちらもぜひおすすめします。

歌を詠むのをやめてからずいぶん経ちますが、正岡さんの第二歌集は、短歌とは、定型とは何か、という根源的な問いが、そのまま創作のかたちになっているように思いました。それはわたしが答えを出せないまま、離れてしまったものによく似ているような気がしました。

以上、下記は有料記事で申し訳ありませんが、お読みいただけたらうれしいです。


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