13:入院11日目

部屋の外から聞こえる音で目が覚めた金曜日。携帯で時間を確認すると、まだ朝の5時半だった。

廊下の向こうの部屋にいるハイテンションな高齢女性たちは、仲良く楽しそうにおしゃべりしている。私が起きたのはこの話し声のせい。やっぱり年寄りの朝はとことん早い。起きるのはいいけど、常識的な時間になるまでは黙ってて欲しい。3時間半しか寝ていない私はブチ切れそうだった。

絶え間なく点滴を落としている私は、いったん目が覚めてしまうと、トイレを我慢できない。まだ廊下の電気もついていないが、点滴棒を転がしながらトイレへ向かった。共用洗面台で手を洗っていると、看護師さんが通りかかり、「ゆうなちゃん随分早いお目覚めじゃない」と声をかけてきた。向かいの部屋がえらい楽しそうだから起きちゃったよね、と返事をした。点滴が終わっていたため、そのままベッドに戻り点滴を交換してもらった。

ひたすら点滴を刺しまくっているから、もう腕から手の甲まで注射痕まみれだ。採血の痕はすぐに治って消えるのに、やはり何時間も太い針を差しっぱなしにしている穴は、治りが悪いらしい。点滴漏れの痣と相まって、何とも痛々しい。というか、正直痛い。

朝7時半、やっと朝食の時間になった。起きてから2時間、さすがに二度寝をした。運ばれてきたご飯は、パンだった。柔らかいロールパンだから、顎が痛くても潰して食べられる。嫌いなお粥じゃないから、嬉しかった。副菜は、ブロッコリーとコーンのマヨネーズ和えだった。大部屋に来てから、ご飯を残すたびに、『顎が痛いからもう要らない』と看護師さんに言い訳をしていたから、同室の女性も私のことを分かってきたらしい。「今日のブロッコリー、硬いよ」とカーテンの向こうから声が聞こえた。

じゃあ前歯でゆっくり噛んでみる。と返事をして、顎に気を使いながら食べた。お粥じゃないから、今回は完食。看護師さんが、「久々の完食じゃん!ご飯食べないと点滴減らないからね」と言われて、お粥嫌いなの、と言うと、次から普通のご飯に変えてくれることになった。嬉しい。

昼食からは、本当に普通のご飯が出てきた。でも、おかずはまだ刻んである。これはこれで、スプーンで茶碗におかずを移して丼にできるから、食べやすくて良い。この日から、きちんと完食できるようになった。

午後、暇でぼーっとしていると、同室の女性のもとに次々のスタッフが挨拶に来る。カーテンの向こうから、「久しぶり」「師長」などと聞こえる。しばらく話を聞いていると、この女性は以前この病院に看護師として勤めていて、今は別の職場にいるようだ。看護師だから、私にお節介してきたんだな、とようやく分かった。

カーテンを閉めたままだと暑いから、トイレに行くときにカーテンを開けて戻さずにおいたら、声をかけられた。

「いくつなの?」明後日、26になる。

「頭の手術したの?」ピル飲んでたら脳梗塞と出血起こしちゃって、火曜に手術してきた。

「私はね、腰が痛くて仕事にならなくて、外来に来たら、ヘルニアですぐ入院して手術って言われてさ、看護師だけど手術怖いのよね」

と世間話をしばらくした。寝返りを打つたびに、いてててて、と言っていたし、夜寝る前も座薬をもらっているのを知っていたから、ヘルニアって大変だなと思った。

話を終えてしばらくすると、看護師さんが同室の女性への差し入れを持ってきて、「息子さんが持ってきたよ、でもさ、お菓子が大量に入ってたから、塩分高いの没収ね、血圧高いんだから!」と言っていて、ちょっと笑ってしまった。

私的には、病院食は量も多いし、動かないから全くお腹が空くことはないのだが、減塩食の人は量が少ないのか、はたまたこの女性が大食らいなのか。おやつがないとお腹が空いてつらいらしい。毎日、夕方にお菓子を漁る音が聞こえた。

16時過ぎごろ、ウトウトしていると、カーテンが開いて、同い年くらいの女性に声をかけられた。制服が看護師とは違う。「ごとうさん、今日からリハビリです。早速いくつか質問をしますね。」と言われて、長谷川式スケールが始まった。認知症検査ですか、と思いながら答えていたが、曜日と病院名が答えられなかった。そのほかの質問は全て答えられたが、間違えたことはショックだった。

とくに、100から7を引き続けるのは、一生懸命考えても答えが出るまでに時間がかかった。なんとか間違えずに言えたが、引き算をここまで難しいと思った事は無い。答え合わせが終わると、次は図形を描くテストを受けた。簡単な図形がいくつか重なっている絵を、見本と全く同じように描く。時間はかからずに描けたが、見本より少し小さめで、少し歪んだ絵になってしまった。

もともと、直線や円をフリーハンドで綺麗に描けるタイプの人間だから、これにもショックを受けた。テストが終わると、リハビリ室に移動した。ゆっくり歩いてリハビリ室へ向かいながら、『リハビリするって聞いてなかったからびっくりした』と話すと、作業療法士の女性も「聞いてなかったんですか?!」と驚いていた。

リハビリ室へ着くと、前後にまっすぐ歩けるか、目を瞑ったまま両手を同じ高さに保っていられるかなど、体の動きに左右差が無いかのチェックを受けた。高校生ぶりに、握力を測ったりもした。多少筋肉が落ちただけで、体の動きに異常は無かった。

次に、A4用紙に数字がバラバラに書かれたものを渡され、1から順番に線でつなげていくよう指示された。医療系の学校に通い、元病院勤務の私は、確かこれは鉛筆を離すと失格になるはず、と思いながら、ゆっくり確実に線を引いた。やりながら気づいたのが、2桁の数字を見つけるのが大変だと言う事。

例えば、12を見つけようとすると、2がつく数字がどんどん目についてしまう。2や、22が。だから、12発見!と思って進もうとすると、22だったり。ただ、数字の順番に悩む事は無く、ひたすら数字を呟きながらテストを受けた。かなり時間がかかったが、間違える事なくできた。

次は、数字とひらがなが散りばめられた用紙を渡され、1→あ→2→い→3→う のように、交互に線でつなげていくテストを受けた。数字は13まで、ひらがなは【す】まであった。こちらも、ブツブツ独り言を言いながら、なんとか間違わず、鉛筆を離さずに出来た。しかもなんと、数字だけを繋げるよりもいいタイムが出た。

到底20代の平均タイムには届かなかったが、久々に頭や指を体を使ってとても疲れた。こんなに頭の回転が遅くなって、仕事に戻れるのか少し不安になった。

外来のリハビリ患者も数名いて、丸坊主の若者の登場にぎょっとしている人もいたが、まあ病院内だし隠すこともないか、と、院内では帽子を被らずに過ごした。





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