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退院直後

2週間ぶりの外の世界は、7月というのに全然暑くなく、どんより曇っていた。今年の梅雨は長い。

病院から自宅まで車で20分ほど。もともと車酔いしやすい体質で、しかも脳の術後1週間。これは耐えられないんじゃないかということで、父から渡された実家のガーグルベースンを抱えて、いつでも受け止められるようにしながら助手席に乗って帰った。

自宅には食料はない。私の入院中は、夫は全く自炊をしなかったらしい。いや、仕事を終えてから病院に着替えを届け、家に帰って洗濯をし、家事をやる暇なんて無かったのだろう。実家から離れて暮らしていると、こういう非常事態が起きた時に困る。この日の夕食は、コンビニで買って帰ることになった。

自宅近所のコンビニに着いて、車を降りた。半袖Tシャツだと、両腕の大量の痣と点滴痕がよく目立つ。2週間身体を動かしていなかったから、デコルテはガリガリに痩せて骨が浮き出ている。肌は青白くて(もともと人から心配されるくらい肌が白い)、マスクと帽子と眼鏡をつけ、ふらふらしながら歩いている。これ、夫が一緒にいなかったらガチで薬物使用者と思われるはず。

店内を1周するだけで、えらく疲れた。冷凍ケースの縁に捕まっていないと立っていられない。病院内の歩行距離なんて、日常生活の運動量に到底及ばなかった。

食料調達を終えて自宅に着いた。ここで難関が立ちふさがる。私の自宅は、メゾネットタイプの賃貸アパート。住居は、2階と3階部分。1階の玄関を開けるとすぐに階段を上らなければならない。各階段に手すりはついているが、先ほどのコンビニで体力をほとんど使い果たした私にとっては、地獄だった。四つん這いで階段を上り、なんとか2階にたどり着いた。ニュースでは、東京でコロナが180人を超えたと大騒ぎしている時。まず最初に洗面所へ向かうが、壁を伝っておばあちゃんのように超スロー歩行だった。

なんとかリビングまで戻り、夕食をとった。冷やし中華だ。いまだに口が大きく開けられないため、ちびちび食べていると、夫の両親が様子を見に来てくれた。私は動くと大変だから、座ったままの対応だったが。「退院があまりに早いから、違う病院に移されちゃうのかと思った」と驚かれた。私は知らなかったが、リハビリが必要になったら専門病院に転院になる、と説明されていたらしい。リハビリするほどでもない状態だが、体力的にはなかなかきつい。「でも退院できてよかった」と言って、いくつか冷凍食品を差し入れてくれて、すぐに帰っていった。

夕食を食べると、すぐにお風呂に入りたくなった。前回の入浴からもう2日経っている。普通の生活をしていたらあり得ないことだ。ただ、入浴するにも、浴室で具合が悪くなったら大変だし、こんなフラフラで1人で入るのは不安だ。結局、夫と2人で同時にシャワーすることになった。私はお風呂の椅子を占領して、夫は空の浴槽で立ったまま全身を洗う。ちょっと申し訳ない。これが冬だったら、寒くてこんな入り方はできないし、夏で良かったのかもしれない。

髪を乾かす手間もなく、寝間着に着替えると、もうすぐ8時。今日は身体を動かしたし、もう既に眠たい。小学生並みの就寝時間だが、もうベッドに入ることにした。が、ベッドは3階にある。また地獄の階段をゆっくり上った。ベッドに入るが、頭が興奮してなかなか寝付けない。お見舞いが無かったから、積もる話がわんさかある。ながながと話しているうちに、トイレに行きたくなってきた。入院中も2~3時間に1回はトイレに行っていたから、癖が抜けない。慎重にゆっくり階段を下りて、2階のトイレに入った。

教訓:メゾネットタイプの家は病人には大変

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