嫌いなもの①

 1年前に引き続き、好きなものの話をしようと思って何度か途中まで書いた。けれども、進まない。前回書いたように、一つのテーマをnoteで語れるほど詳しくないし書けば書くほど自分の穴に気がついてドツボにはまっていく。怖い。

 それに薄々気がついてはいたけども、好きなものより嫌いなものの方が積極的に思い浮かぶ。嫌いなものが多い。こっちは人より多いと思う。大体にして、嫌いになる閾値が低い。

 嫌いなものを避けようとすると、嫌いなもののことをそれなりに考えて生きなければならない。さらに言えば、考えて避けなければならないほど嫌いなものというのは、おしなべて身近だ。というより、身近でなければ嫌いにならない。遠いところにあるものをわざわざ嫌うほど暇じゃない。暇だけど。とにかく遠いのに嫌いっていうのは相当だ。人間関係も然り(少なくとも私の場合、距離の種類は様々だが)基本的には「近いから嫌いになる」のだ、と思う。

 また前回に引き続き虫の話。私は虫全般が嫌いだ。素手で触れるのは蚊だけだ。それ以外は大小美醜問わず無理だ。昔、家の中にゴキブリが出た際にはバリケードを作って自分の部屋のドアと床の隙間を埋めていた。今思うとあれは諸刃の剣だ。万が一内側にいたらと考えると今でもゾッとする。なにもなくて本当に良かった。部屋の外で父が片付けた音を聞き、包んだティッシュも遠く遠くのゴミ箱に捨てられたことを確認し、バリケードを崩す。でも数日は「再び何かがあっても良いように」と臨戦態勢を保つ。ちょびっとしか崩さない。それぐらい、夏は戦いだ。

 しかしそんな虫も、画面越しであったり博物館や動物園などでガラス越しに展示されていたりするものは問題ない。むしろやや前のめりに展示を見に行くことすらある。なぜか。遠いからだ。リアルじゃなく、生々しさも感じない、自分のエリアが侵食されないから問題ないわけだ。(そういった点ではあつまれどうぶつの森の博物館は私には厳しい。あんな自然に近い素晴らしい環境であんな完成度の高い虫たちを落ち着いて鑑賞なんて、出来るわけがない。)昔、オーストラリアのゴキブリが展示されているのを見たことがある。日本のものからは想像もつかないほど大きい。博物館だったため残念ながら生きて動く姿は見られなかったが、まぁサイズ的に日本のものよりはかなりのそりのそりと動くのだろう。そんなものも、ガラス越しの展示であればむしろ好奇心を抱いて接することができる。自分と対象との距離はそれぐらい大切だ。距離の種類については話し出すともう収拾がつかないのでやめておく。

 嫌いなものについてももう少し思うところはあるけども、まだまとまりきらないし、何よりそんな嫌いなもののことばかり書くわけにもいかないので、またいずれ気が向いた際に。

 次回はもう少し明るい話を書きたい。


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