美術への憧れ

 デッサンを始めた。芸術の秋である。前回ちらりと書いたけども。痴人の愛は無事読了した。折り返しから終わりにかけての文章の気迫、人間のエゴと依存が丁寧に描かれていている様は見事だった。

 デッサンに関しては色々と流れがあり。というのも、私は幼いころから図工が「がんばろう」だった。今思えば、頑張っている児童に対しなんとも失礼な評価だ。しかしとにかく頑張っても頑張っても「がんばろう」だったのだ。小学生ぐらいまでは、それでもあまり思い通りにいかないと感じながらも、頑張っていた。しかし中学校にあがり小狡さが増し徐々に頑張らなくなった。忘れもしない、中学最初の二人組を組んでお互いの顔を描く授業ではペアの同級生が心底不憫であった。せっかくの美人が本当にもったいなく終始申し訳なさと心苦しさを感じていた。完成した絵は心なし悲しげな表情をしていたように思う。学年が上がると、手を抜くことを覚えた。ついに油絵の授業ではまるで進まない私の絵を見かねて、先生が「少しお手本に」と言ってキャンバスに描き足してくれた。これに味をしめたのか他意はなかったのか今となっては覚えていないけども、先生の性格が非常におおらかだったことも手伝い、それ以降私はほとんど作品に手をつけず、毎週先生がそれを見かねて描き足すという様であった。おおらかな先生は先週の出来事なんてすっかり忘れてしまっている様子だった。その結果、最終的には中々趣のある素敵な作品が完成し、先生からは「●●さん、中々上手じゃない」と評価をいただいた。そりゃまぁそうである。美術で先生に褒められたのは、この話以外に記憶がない。

 そんなものだから、とにかく昔から芸術の才のある人に憧れを抱いていた。高校を卒業し大人になり、ふと余裕の出来たときに「絵を描いてみよう」と思い立つことは何度かあった。その度に鉛筆でデッサンをしてみたり水彩画を描いてみたり、挑戦はしてきた。しかしどうしても頭で思い描いているものと、実際に私の手から生まれてくるものが違いすぎる。そうして毎回諦めてきた。しかしまた今回、何があったわけでもないが私の中に再び芸術への憧れと意欲がふつふつと沸いてきたのだ。同じ轍を踏まないよう、前回の反省から始めた。結果、見様見真似というのが良くないのではないか、という結論に至った。才能がなければ何事もまず理論である。陰影や遠近を身体で感じ表現できる才能があれば別だが、もちろんそんなものはない。なのでここは一つ謙虚に教科書を購入して理屈を学ぶのが一番ではないか、そう考えた。これが当たりだった。kindleで教科書を購入し、さらにありがたいことに現代はYouTubeまである。大変な努力をされただろう美大の学生の方々が様々な動画を投稿してくれているのだ。これを見ない手はない。教科書を読み、動画をいくつか視聴し、ふむふむなるほどと思い描いてみると、会心の出来である。紛うことなき人生で一番の作品が出来上がるではないか。これは面白い。

 そういうことで、最近は時間が出来ればデッサンをするようにしている。光の当たる方向、陰と影、そのグラデーションなんてまるで意識をしたことのない人生であったと感じる。要するに平たく言えば、何もきちんと見てこなかったのかもしれない。これを機に少し「観察」という習慣も手に入れられればと思っている。

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