元上司の逝去の報を聞いて(毒吐き閲覧注意)

【この文章は積年の恨みを吐き出していますので、ライトで楽しい文章を読みたい方は読み飛ばしていただくことをお勧めします】






先日、風の便りで前職で最後の事務所にいた時の上司が2000年に亡くなっていることを聞いた。


正直「これでやっと区切りがついた」という感情しか出てこなかった。

普通であれば「厳しかったけど、今思えば…」「あの時は辛かったけど、あの時代があるから…」みたいな美辞麗句が出てくるもんだけど、普通に「これであの忌まわしい過去が少しは中和されるのかなあ」としか思わななかった自分の心に驚いた。

それほどその上司が憎かったのだ。

前職は仕事はさほどいやではなかったが、会社とその上司が決定的にダメだった。

百歩譲って会社に不満はあったとしても、その上司だけは許せなかった。

理不尽で感情でしか話のできない、極めて「我が人生の汚点としかなりえない」上司だった。

職場で怒鳴りあいになり、上司が帰った後に職場で荒れ、同僚に慰められたり話を聞いてもらったことを昨日のことのように思い出すことがある。

それは自分を苦しめるだけに十分な思い出。ときどき発掘される過去の戦争の弾薬や武器のように。


2000年から2015年の彼の死を知らなかった期間ですら「もっと早くその死を知ってれば楽になれたのに」という思いが強い。


思い出は時間とともに美化されたり風化したりするものだけど、その思い出に強い思いがあればあるほど「そのまま」残っているものなのだと思う。

いい思い出も、悪い思い出もそのままそっくり。

自分の中の悪い思い出って自分を奮い立たせるために役立つものもあるのだけど、そうもならない「どうしようもない悪い思い出」もあるんだということをここに書き記してみました。

ポジティブバカの自分でも、どうしてもポジティブに変換できないことってあるんですよね。

そういうこと、あってもいいでしょ。

ひとりくらい憎らしいまま永遠に別れがあってもいいでしょ。


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