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2021年観光とワタシ

 noteを書くのは、本当に久しぶりになってしまった。慌てて、大晦日にこれを書いている。
それはこの一年、アウトプットがあまりできていなかった証拠でもあるし、書く筋トレを怠っていたということでもある。
のっけから今年の反省のような書き出しになってしまい、何とも年末感。

 さて、こうして2021年のことを振り返えってみても、やっぱりいの一番に浮かんでくるのは、
旅と観光のことだ。休職をしていてもなお、旅や観光のことが頭から離れることはない。

 特に今年は、タイ国内の規制であったり、実質的なロックダウンにより気持ちが塞ぐことも正直少なくなかった。物理的に旅行へ行くことができなかったことは、心身的にとても辛く感じた。
だからこそ、旅や観光について深く考え想いを馳せる時間が生まれたようにも思うし、日々現場で観光に携わり奮闘されている方々とのやりとりを通じて(今年もオンラインでたくさんの方々とお会いできたことに感謝)、さまざまな視点で見つめ直す機会もたくさんいただいた。それらひとつひとつから、やるべきこと、進むべき道筋、未来をあらためて再確認できたし、そしてなによりも「旅は決して不要不急ではなかった」そのことを強く噛み締める、そんな一年だった。


旅が与えてくれるもの

 タイに来て一年が経ち、二度目の年末を迎える。来た当初は、まだコロナの感染状況も緩やかで、比較的、バンコク市内の色々なところへ、せっせと足を運んでいたように思う。
気をつけつつ、そろそろ国内旅行でも…とタイの旧正月ソンクランに合わせてプーケット旅行を計画していた矢先、タイにおいても感染拡大の波が幾度となく押し寄せ、旅行をやむなく断念。それどころか子供の学校も冬休みから一度も学校へ行くことなく新学期へ突入、オンライン授業へ切り替わってしまった。分散登校など段階を経て、やっと全学年一斉登校開始となったのが11月末、ついほんの最近のことだ。また、約8ヶ月もの間、お預けになっていたプーケット旅行も先日なんとか行くことができたし、隣県ナコンパトムへ日帰り旅行も楽しむことができた。

プーケットにて
ナイヤンビーチにて
ナコンパトム県の赤い睡蓮の池
蓮の花びらでいただくミャンカム
龍が巻きつくドラゴン寺


こんなに何ヶ月も旅行しなかったことが、
これまであっただろうか…?

どこにも行けない、それだけでなんだか気が狂いそうだった。もちろん旅行をしなくても生きてはいけるけれど。けれども何かがとにかく足りなくて、飢(かつ)えて、どんどん乾いていくような、そんな感覚だった。
 でもどうやらそれは、あながち単に個人的な感覚でも無かったらしい。「移動距離が長い人間ほど、日々の生活でより高い幸福度を感じている傾向がある」ということが、実は学術的にも証明されているのだ。


その研究結果によると、

「人間の脳には、移動に喜びを感じる特別な幸福回路がある」
「また同じ移動距離でも通勤や通学とは違い、
多様性や新規性がある移動ほど、感じている幸福感がより高くなる」




のだという。
この「多様性や新規性がある移動」こそがまさに「旅」そのものだなとおもったし、「旅」が私たちに与えてくれるものの大きさを身をもって感じた一年だった。



旅や観光の可能性

 「旅が不要不急ではない」ということを、先ほどのように身をもって感じたことに加え、旅や観光が持つ力や役割そしてその可能性を、色々な方々との対話、自己内省、あらゆる機会で再確認できたことはやはり大きい。
とかく、渦中にいると、どうしても目先の施策やその進捗におわれて見失いがちになるところ、休職中の私には、一歩外側に身を置いて客観的に見つめ、考える圧倒的時間と環境があった。

 仕事をしている時も同様に問い続けていることではあるけれど、とあることをきっかけに
「どうして日本は観光先進国
 を目指すのか?」「なぜ、観光なのか?」ということを、あらためて真摯に深く見つめ直す機会を得た。


観光じゃなくても、製造業、農林水産業…
日本には柱足りえる産業があるにも関わらず、
なぜ観光なのか。
基幹産業は日本をより良く豊かにするための
「手段」や「方法」のひとつであって、日本が誇る素晴らしい製造技術やサービス、高品質の農産物などなど…、その選択肢は多様にあり、何も観光にこだわることはないのかも知れない。とくに今回のような世界的な疫病の流行、自然災害、国際情勢など、観光はそれら要因から大きな影響を受けやすい産業でもある。それでも、私が旅や観光に期待すること、それらが持つ可能性はやはり大きいと思っている。私なりにあらためて言語化してみた。


  〈私が感じている旅や観光の可能性〉

◇旅という行為そのものが、国際相互理解そして国際平和に貢献する(旅行者を通じて、また自身の旅を通じて他者や他国地域を理解する。地域住民と旅行者が互いに理解し共存する)。

◇鏡を見るように、旅行者を介して地域住民がビレッジプライドを育む。

◇あたらしい旅や観光のスタイル、価値観の創造を通じて、地域や自国だけでなく世界に横たわる多様な社会課題の解決へつなげる。

◇観光産業を取り巻く裾野の広い関連産業群はもちろん、接着剤や潤滑油のように多様な産業らとも融和し、相互に刺激し合いながら経済を底上げ牽引していく。

観光は、いつも経済の話が前面に出ることが多いが、それは否定しない。ただ、それは多面的な観光のひとつの顔(可能性、力、役割)でしかないということを強く申し添える意味で、あえて一番最後に書き連ねた。

勿論、それ以外にも心身的な効能や教育効果など、旅や観光にはたくさんの可能性があると思う。でも、わたしは特にこれらのことをいつも心に留めておきたいとおもっている。施策を考えるときに、何か判断に迷ったときに、道標というか北極星のようなものとして。

観光の現場で働く方々にとって、自分たちがやってきたこと、これからやろうとすることは、こういう可能性にもつながっているんだよ、ということも伝え、励ますことが(私がいつも鼓舞されているように)できていたら、この今年の振り返りもまんざらでも無いないのかな、と思える大晦日の朝なのでした。

来年の抱負ではないですが、久しぶりにnoteを書いたら、いろんな機能が拡充されていて、とても書きやすかったので(おかげでなんとか書き上げることができました…)、思考と行動のアーカイブのため、アウトプットを今年よりもがんばりたいと思います。