ジェンダーレス男子について

 2015年から2016年上半期にかけて、テレビ番組を含めいろんなメディアがジェンダーレス男子を取り上げてくれるようになったんだけど、それは見た目の突飛さや、男が化粧をするっていうスキャンダラスな現象として面白おかしく扱われることが増えました。

それはそれで、“ジェンダーレス男子”という言葉が広く一般の人にまで広がっていくためには必要なことだとは思うんだけど、2016年下半期からは正しくジェンダーレス男子が伝わるように、ブログやインタビューしていただく媒体も含めて発信していけたらなと思ってます。

まずジェンダーレス男子の定義から改めて説明していきたいと思います。

ジェンダーレス男子とは、オシャレをするときに“男は男らしく”“女は女らしく”という固定概念を取っ払って、“男でも美しく”“男でもキレイに”というような、なりたい自分になるために“ジェンダー(性)”から自由になった男子のことを言います。

そういった哲学というか価値観があった上で、ジェンダーレス男子たちはより自分をキレイに魅せるために、化粧をしたりスキンケアをしたりネイルをしたりしています。

ジェンダーレス男子たちの美意識の高さを語る上で欠かせないのが、じつは彼らの“劣等感”。「自分はいわゆるイケメンではないから、化粧をすることで自分の嫌いな部分を克服したい」。ジェンダーレス男子の代表例である、こんどうようぢ、とまん、そして次世代のほりえりく、やっぴetc、みんな口を揃えて言うのは、こういった自己嫌悪ともとれる劣等感があるがゆえの武装が化粧であり、ネイルであり美意識なんだと思う。そういった武装の上で服を選ぶとき、すでにメンズもの、レディースものという価値観は当然なく、結果としてメンズもレディースも関係なく取り入れたジェンダーレスファッションができあがるのだ。

そういった劣等感の克服からオシャレをスタートしてる彼らだが、SNSで自身のコーデやセルフィーをアップすると、小さなコミュニティーの中で賛同してくれる存在がいることに気づく。ただ、その倍くらいの批判はあるのだけど。

ジェンダーレス男子のオリジナリティのこんどうようぢの時代からとまん、そしてほりえりくと続く頃には、批判よりも賛同の声のほうがSNSでは多くなり、上京したての頃まったくモデルのお仕事がもらえずスーパーニートと言われていたこんどうようぢも、メディアに取り上げられることが増えていった。こういった小さなコミュニティーの声をちゃんと広げてくれるのは、SNS時代の今だからだと思う。

SNSがまだなかった時代は、人は生まれた場所や学校などの環境の中でしかコミュニティーをつくれなかった。自分のまわりにいる人がすべてだった。SNSはやっと“価値観で繋がれる時代”をつくってくれたのだと思う。

こんどうようぢが大宮アルシェで行ったジェンダーレス男子トークショーで「男らしさ女らしさよりも、自分らしさ」とみんなの前で語った言葉も、SNSによって自分のファッションや価値観を認めてくれる人たちがいるからこそ言えたのかなと思う。SNSというツールがあるからこそ、自分らしく生きられる。

さて、これからジェンダーレス男子はどういった存在になっていくのか?

現象としてのジェンダーレス男子はもっともっと広がっていって、化粧をすることもレディースの服を着ることもそのハードルが下がり、より一般的に誰もがそういったファッションを楽しむことができるようになると思う。こんどうようぢ、とまんのようにテレビを含めたメディアでジェンダーレス男子が取り上げられるたびに、どんどん男が化粧をすることが一般的になっていく。特殊なことではなくなり、原宿系、アメカジ、モードといったふうに、オシャレのジャンルのひとつとしてジェンダーレス男子が確立されるようになるはず。

あとは個人的に、いろんなオーディションの審査員をすることがあるのだけど、そのときに見た目はジェンダーレス男子ではない人たちから「ようぢ君やとまん君のように自分に正直に生きたいと思って、自分なんかには無理かもしれないけどこのオーディションを受けました」っていう言葉を多く聞くようになった。ジェンダーレス男子の根底の価値観が伝わって、自分の気持ちに正直に生きやすい世の中になれば、ジェンダーレス男子というカルチャーをつくって本当によかったなと思います。

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