猫を守るために好奇心を殺す〜あとがき〜

こんばんは。
数あるnoteの中から、私の記事を開いてくださり有り難う御座います。

今回はは先日投稿した「猫を守るために好奇心を殺す」のあとがきです。
まだご覧になっていない方はぜひ先にそっちを読んでいただければと思います。
しかし、後書きから読むと答え合わせのようになって、それはそれで面白いかもしれませんね。
読み方はお任せします。

この記事はただのメモのようなもので、なんのメッセージ性もありません。
書き留めておくことに意味があると思っています。
最後まで読んでくださると嬉しいです。


あの記事は、書きながら着地点が変わっていったものである。
最初は「怖い」とは「分からないこと」だと纏めるつもりだった。

しかし、何か足りないと思いさらに思考を巡らせてあの答えに辿り着いた。

「わからない」だけでは足りないのではないだろうか。
「能動的な行動」がなければ、「怖さ」は得られないのではないだろうか。
一見受動的に感じていると思われる恐怖は、
実は自らが意識的に、もしくは無意識に行動した産物なのかもしれない。
そんなことを思った。

ちなみに、あの記事は決して「怖さを乗り越える」方法を書いているわけではない。

あの記事は何も解決できていないのだ。
読み進めて、読み戻すとそれに気づくかもしれない。
「恐怖」の根源を断つことはできない。
それでも私は好奇心を殺し、「猫」という「心」を守らなければいけないのだ。

不完全な文章や抽象的な文章を書くことは、読み手にも自分自身にも先を考えることを強いることになる。
しかし、私にとってそれは面白く、完全な文章はどこか味気なく感じてしまうのだ。
しかし、今回の記事はそれにしてもひどく抽象的であり、書いた時の思考をどこかに残さなければ「備忘録」にはなり得ないと思い、あとがきを書くことにした。

ぜひ今回の記事とあとがきをどちらも読んで頂けると、「こま」の性格がより一層分かるのではないだろうか。
それも一つの楽しみになり得てもらえると、なお嬉しいと思う。

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