もやっとする話

こんばんは。
数ある投稿の中から、私のnoteを見つけていただきありがとうございます。

最近は何かあった時に自分用メモに考えを書き出して満足してしまってるので、
こうして表立って投稿するのは久しぶりです。

別に何かがあったわけでもなく、今回の話を投稿するのは気分です。
今日はそんな、気分にまつわる話。
よければ最後まで読んでいってください。



スクールカーストという言葉がある。
言葉には流行があるが、この言葉に関しては10年以上前から今まで使われ続けているような気がするし、
「陽キャ」「陰キャ」のようにカーストを表現するような言葉も、廃れず今日も使われている。

最初に述べておくが、私はこの言葉を好まない。
自分がどっちなのか、周りの人はどうなのかなんてどうでもいい。
仲良くしたい人と仲良くするだけの話だ。
陽でいたい時もあれば、陰でいたい時もあるだろう。
わざわざ区別するなんて、どうしてめんどくさいことをするのだろうと思っている。
それを踏まえてこの後の話を読んでもらえたらと思う。


「陽キャが陰キャに声をかける行為」について、
たまにこのような意見を目にする。

「陰キャに声掛ける私優しいでしょアピールだ」
「偽善者だ」

この意見についてどう思うだろうか。


私はとてももやっとししまう。

「その日の気分」
「ふと何かに興味を持ったから」

声をかけた理由なんて、これが大半だと思っている。
たまたま暇で近くに人がいたから、とか
例えば描いている絵に興味を持ったから、とか
それくらいのことなんだと思う。

「1人でいるのが可哀想だから」
「和に入れてあげよう」
そのような偽善が入り込むことはあまり無いのではないか。

勿論、アピールしたくて声かけてる人、からかって声をかける人もいるとは思う。
しかし、なぜそのような考えに行き着くのか。
とても疑問である。

一つ、推測として、
「気分で自発的に声をかける」という行動を取らない人だからではないかと思う。
自分が取らないからこそ、いざそれをされた時に行動の意図が分からず別の方向で考えてしまうのではないだろうか。

繰り返すが、陽なのか陰なのかなんてくだらないと思っている。
ただ、意図が分からない行動に対して、早々に相手を悪としてしまうのはどうなのだろうか。

やはりもやもやを感じてしまう。
区別した結果がそうさせているのかは分からないが、
どうか純粋な心を持った人が、悪と決めつけられて傷つくことがないように祈るばかりだ。

今回の話はあくまで私自身の実体験に基づく考えです。
過度に自分に当てはめるのではなく、一つの考えとして受け流してくれれば幸いです。

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