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そうか、いいんだ。

 走らないわけにはいきません。熱が出て、耳鳴りがしても、徹夜明けの彼女は渋谷駅構内を駆けます。走らなくていいと小学校の恩師に廊下で優しく諭された日が走馬灯のように頭を過ぎっても、彼女は止まりません。今日が仕事の納期でした。

 通路の端に見慣れないエレベーターを見つけます。改札行きなら早道だと彼女はボタンを連打しました。扉が閉まるとほとんど床が回っている気がします。扉が開き、彼女はまた駆け出しました。走っても走っても、白く長い通路がつづきます。

 地下なのに窓があり、外に校庭が広がっていました。西日を浴びて野球をする子たちのなかに幼い彼女の影。息がきれました。彼女は廊下を歩きます。走らなくていいと後ろから声がしました。振り返ると目眩がして、彼女は気が遠くなります。

 目が覚めるとスーツを着たまま家のベッドのうえにいました。熱を計ると三十九度を超えています。会社に休みの連絡を入れました。どう帰ってきたか、覚えていません。耳鳴りが止むと、恩師の声が聞こえた気がしました。そうか、いいんだ。






ショートショート No.415

photo by Komaki Kosuke

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