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バンド

 他人に将来を委ねることの愚かさを、罪深さを、知ることになるのはずっと後ばかりだ。普遍的感情を処理するには、だれかの共感で昇華させていくように、なにかしらの媒介が必要になっていて、たぶん、消化不良でずっと臥せっている。
 臥せったままでいる。
 それはもう全部あの人のせいにしたいくらいに。ワンツーで消してしまえたら楽だと思うくらいに。
 誰かに委ねることの、迷惑さを知っている。それは人生空ベットくらいしなきゃいけないことで、担保があっていいことではない。ハンバーグを作るからって、飲みの誘いを断られたことを定期的に思い出す。生活は身に沁みていて、どう考えたってそれこそが、捨てちゃいけないものだった。
 何も分かってなくて昔もこれからも、楽な言葉に逃げたくない。なんか、なんとかだなあとか、そういう感傷で詠嘆するような言い回しは現代において逃げだと思うから、勝手に思うだけなんだけど、ちゃんと安易に生まれてしまったエモさとかいうのを分別して燃やしたい。だって悔しい。だって、烏滸がましくたって悔しい。 
 辞めた人のニュースばかりを記憶している。今は農業をしている元ドラムの彼とか、変な声の天才が歌うバンドの元メンバーがやっているバンドとか、なんかそういう、あったかもしれないことばかり考えてしまう。多分聴いている人の九割五分くらいが、何も気付かないんだと思う。メンバーが入れ替わっても、大きな不調があっても、何があったとしても。
 完成しないバンドがひとつの誇りで、ひとつの未熟さの現れで、分かりやすい最終形であったように思う。プライドが高いところが、一番共感できたから好きだった。
 終わったらすぐに跡形もなくなってしまうくらいのことが、すごく大事だった。
 
 
 
 
 
 

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