Vtuberという現代における偶像崇拝と炎上

Vtuberとは

現代、日本を生きているうえで、テレビニュースや新聞等にて、メタバース(仮想現実)などの単語を見聞きすることが多々あります。

仮想現実(VR:virtual reality)が劇的に進歩したのは2000年代、Googleがマップにおけるストリートビュー機能のサービスを開始したことです。
同時期、2007年以降におけるスマートフォンの普及により、私たち自身の手でも見ることが可能な、かなり身近な存在になりました。

そんなVRという単語の中で、仮の身体を作成し、配信活動を行う人々を「Vtuber」と一般的に呼びます。
これは元々、動画配信サイト「YouTube」にて配信活動を行なっていた人を指す「YouTuber」に「virtual」を足した「Virtual YouTuber」という造語の略称です。

2016年、Vtuberの1人であるキズナアイ氏がActive8株式会社よりデビューし、活動を始めた際、「バーチャルYouTuber」という単語を発言したことから、急速に広まりました。

2022年現在ではANYCOLOR株式会社の活動の一つである「にじさんじ」、カバー株式会社の活動の一つである「ホロライブ」が有名です。



配信と炎上、およびリスナーの距離

これもまた昨今の日本において耳にする単語かと思いますが「炎上」。
これはウェブでの批判が収まりがつかなくなり、多くのバッシングが行われることです。
財務省において、その定義が定められておりますので、詳しくは下記をご覧ください。

配信活動をしていく上で、リアルのYouTuberでもバーチャル YouTuberでも気をつけなければならないのがこの「炎上」であり、内容によっては多くのファンを失い、配信活動を休止、最悪の場合は停止せざるを得ない状況になります。
原因は失言や情報漏洩など、多岐に渡りますが多くの場合は身から出た錆であり、なってしまった場合は熱りが冷めるのを待つしかありません。

しかし、Vtuberの場合は本人の意図しないところで、炎上に準ずる出来事が起こることがあります。
それはリスナーによるスーパーチャット(YouTube機能の一つであり、機能に料金を払うことで自身のコメントを目立たせる機能。料金の7割が配信者の収益になる)が原因となります。

スーパーチャットは上述の通り、自身のコメントを目立たせる機能であるため、配信者の目に止まりやすくコメントを読んでもらえることが多いです。
しかしそれは必ずではないため、読まれなかった一部のリスナーが批判的な行動を取ることがあり、それを面白がった人物がその部分をスクリーンショットしてSNSにあげることでプチ炎上することがあるのです。

なぜこのようなことが起こるのかというと、virtual特有の"相手が目の前にいない"ことから配信者との距離感を誤ってしまうことが考えられます。

元々ウェブ上のやりとりは、画面越しのため相手とのすれ違いや誹謗中傷が起こりやすい環境にあります。
virtualの場合はそれ以上に相手の顔が見えないことから、より深く相手を傷つけやすい環境にあると言えるでしょう。


ガチ恋勢の台頭

ここでリスナーとの距離感が狂うことで、いわゆる"ガチ恋"と呼ばれるものが、Vtuberにも発生するようになります。

ガチ恋とは2000年代、AKB48等の人気上昇による、「会えるアイドル」から生まれた言葉です。
ファンとアイドルの距離が縮まったことにより、ファンがアイドルに本当に恋をしてしまう。
それを「ガチンコで恋をする」、略してガチ恋と呼ばれるようになりました。

最初期のVtuberも、手の届かない存在(画面上かつ実在していない人物)のため、こういった現象は見られませんでした。
しかし、前述の"スーパーチャット読み"などの行為が始まると、目立ちたいガチ恋勢がこぞってスーパーチャットを投げ、読まれないと暴れ出すようになってしまいました。

特に大手事務所に所属していない個人Vtuberも増えていることから、こういった行動は大きなトラブルへと繋がる可能性が高まっています。


リスナーは距離感を誤ってはならない

そもそもVtuberの原点とも言える、アイドルの語源、Idolは「信仰に対する偶像」という意味があります。

語源の通りに取るならば、熱狂的ファンがアイドルを祀りあげるという行為自体が、ある種の宗教とも呼べます。

それはVtuberも同様であり、ウェブを通して現代社会に発生した、新しい宗教体型とも言えるのではないでしょうか。

宗教的背景を配信活動と並べた際に、私たちはリスナーかつ信者ということになります。

であれば、私たちは信仰対象である配信者を貶すといった行為は罰当たりな、恥ずべき行為であると私たち自身が認知する必要があります。

こういった偶像崇拝の側面から見た際、より余計に私たちは距離感を誤ってはいけません。
神と信者は対等ではないように、配信者とリスナーも対等ではないのです。


最後に

私はガチ恋という行為そのものを批判したいわけではありません。
ただ、私たち自身の行動が、配信者を不幸にしてしまわないように、それを宗教体型と結びつけて今回の記事を書かせていただいたにすぎません。

もちろんこれは一個人の考え方であり、強要するものではありません。
ちょっとしたことが炎上となってしまうような、そういった世の中では、皆生きづらくなってしまう。
そう思います。

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