音楽『スカ』って何?⑤
さて。
スカ発祥の地、ジャマイカの音楽と歴史を見ていきたいと思います。
ジャマイカの独立は1962年。
日本でカラーテレビの放送が始まったのが1960年、『鉄腕アトム』が始まったのが1963年。
日本が1964年の東京オリンピックに備えてせっせと準備をしているような頃に、ジャマイカは独立を果たしたというわけです。
1962年。
④で調べた、スカ発祥と同じ時代です。
ジャマイカの独立とスカには深い関わりがありそう。
■コロンブス襲来
大航海時代。
ヨーロッパ諸国が積極的に海へと繰り出し、新たな土地と出会う冒険の時代です。
その大航海時代の1494年。
ジャマイカにはスペインから冒険家コロンブスがやってきました。
そしてこのコロンブス、虐殺による征服を始めたのです。
他所からいきなり来て暴力です。
先住民たちからすれば理不尽極まりない。
しかしながら、スペインから遠く離れたジャマイカの地。
言語はもちろん、外見も生活習慣も宗教も文化も価値観もまるで違う。
軍事力を持つヨーロッパからすれば、暴力が最も“てっとり早い”手段でした。
暴力を用いた歪みは後世への遺恨をずっと残します。
土地と人を支配して自分たちの利益のために使う……植民地にするという政策はこの頃から始まりましたが、今なお各地で問題を残しています。
ちなみにこの頃の日本はおおよそ戦国時代。
戦って勝った方が、負けた方の領土を奪う。
こちらも国内でそれをやっているわけです。
人類の歴史にはそんな事例がたくさんある。
日本も明治から第二次世界大戦にかけて、中国や韓国を含む各地を植民地にしてきた歴史がありますね。
ちょっと話が逸れました。
とはいえ、コロンブスのあまりに酷いやり方は支援者であったスペインの女王様をも怒らせ、コロンブスは自国での地位を剥奪されるのですが……それはまた別のお話。
■奴隷労働
ジャマイカの人々は抵抗しましたが、コロンブスが来てから5年後、ついにスペインの植民地となります。
スペインはジャマイカに農園を作り、そこで先住民たちをひたすら働かせます。
現地の人々を奴隸にしたのです。
あまりの重労働に先住民たちは次々に命を落としていきました。
先住民……今はネイティブ・アメリカンと呼ばれる人達ですね。
強制労働、それからヨーロッパから持ち込まれた疫病によって現地の人々は姿を消していくことになりました。
当然、人手は足りなくなります。
そこでどうしたかというと、同じく奴隸にしていたアフリカの人々を連れてきて働かせることにしたのです。
『大西洋奴隷貿易』です。
こうしてジャマイカを含むカリブ海の植民地には黒人が住むようになりました。
……このときの船の環境は酷いもので、鎖に繋がれた人々をこれでもかと詰め込み、食糧は僅か。目的地に着く前に亡くなる方もたくさんいました。
■反乱
1655年、今度はイギリスがやってきます。
ジャマイカの人々は再び抵抗しますが、5年後の1670年にはイギリス領に。
またも働かされる人々。
そして1789〜1795年、ヨーロッパで大きな動きがあります。
フランス革命です。
パンがなければケーキを食べればいいじゃない、で有名なマリー・アントワネットが処刑される、あの出来事です。
民衆が立ち上がり、強大な力を持った支配者を倒す。
世界中がこれに大きな衝撃を受けました。
強者から圧力を受けていた人たちの心に、結束すれば現状を変えられるのかもしれないという、そんな希望が芽生えます。
その波はジャマイカにも広がりました。
1791〜1804年、同じくカリブ海の、当時サン=ドマングと呼ばれていたフランスの植民地……現在のハイチ共和国でハイチ革命が起こります。
アフリカ人奴隷による反乱です。
反乱は成功し、ハイチは独立国になりました。
ジャマイカでも奴隷による暴動が起き、イギリスに弾圧され……という動きが起こっています。
この頃にはイギリスでも奴隷への批判が高まっており、
1807年、ついに奴隷貿易が禁止。
ジャマイカにコロンブスが来てから約300年。
日本の天下が織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そして徳川家の歴代将軍……と移り変わる間、
海の向こうではこんなことが起きていたわけです。
■奴隷制度の廃止
……歴史の話が長くなりますが、もう少しお付き合いください。
さて、奴隷貿易は終結したものの、奴隷制自体はまだ廃止されていません。
そして、サミュエル=シャープ(サム・シャープ)という人が行動を起こします。
この人はジャマイカの英雄とされており、現在ではお札にも採用されています。
サムシャープスクエアという名の広場もあります。
それくらい、ジャマイカでは重要な人物です。
この人が1831年のクリスマスに、奴隷たち皆で仕事を放棄して待遇の改善を求めよう!という呼びかけをしました。
つまり、ストライキをやるつもりだったのです。
ところが。
長年押さえられつけた奴隷たちの不満は膨らんでいたのでしょう。
武器を持つ者が出て、暴動を起こす者が出て、大規模な反乱へと発展しました。
今日では、バプテスト戦争、サムシャープ反乱、クリスマス反乱、クリスマス蜂起……などと呼ばれる奴隷反乱です。
(バプテストとはキリスト教派の一つ。シャープはこの教会の職に就いていたらしいです。この教派の教えとの関わりも興味深いのです)
このときシャープは31歳。この反乱にはジャマイカの奴隷の5人に1人が参加したと言われています。ものすごい規模です。
この反乱は11日間に及び、多くの死傷者を出し、そして首謀者たちを含む三百人以上が処刑されました。
結果的には鎮圧されたものの、この出来事は大きな波紋を広げ、管理国イギリスは制度の見直しを迫られます。
そして1833年。ようやく『奴隷制度廃止法』が可決。
そこから、まず子どもの奴隷が解放され、次に……と、段階的な奴隷解放が進められていきました。
■独立への道
…………のですが。
元奴隷の黒人たちは貧しいままで、事実上選挙権もなかった。
そして1865年、『ジャマイカ事件』が起きます。モラント湾の暴動とも。
黒人への不当な扱いに抗議する暴動です。
そして、これを鎮圧する際に行き過ぎた虐殺があったのでは……という議論がイギリスで盛んになります。
それから労働党が発足し、カリブ海植民地の連合が発足し、イギリスから自治権を獲得し……
1962年。
ついに独立。
(イギリス連邦加盟国、という形で)
コロンブスの船がやって来てから468年。
長い長い支配との戦いに、とうとう区切りをつけたのです。
■メント
……はい!!
お待たせしました、ここでようやく『メント』についての話をします!
『メント』とは、このような歴史を歩んできたジャマイカの、最初に名付けられた音楽だと言ってもいいでしょう。
古くから伝わる民謡、どこかの誰かが歌い、語り継がれた歌。
手作りの弦楽器、笛、打楽器、電気を使わない伝統的な演奏。
そんなリズムに社会風刺を乗せて歌うことも。
メントの最盛期は1950年代。
奴隷制は廃止されたものの、まだ独立には至らない。そんな頃の音楽です。
ここからジャマイカの独立に伴うように、スカが生まれるのです。
さて、今回はこのへんで。
次回は、スカの生まれた直接的な背景を考えたいと思います。
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