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アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑥~

長い夜

「長い夜」、そんなタイトルの歌があったな。
  おまえだけに この愛を誓う♫
いやいや、そんなロマンチックな夜ではなかった。ゆっくり眠れない長い夜だった。早く朝になれと、何度も思った。子供たちは相変わらず何度もトイレに足を運ぶ。そのたびに目が覚める。少し熱は下がったようだが、お腹の調子は相変わらずである。悪いものをすべて体外に排泄してしまうまで、この状態は続くのか。

当初の予定では、この日は岸壁に穿たれた墓の前に飾られている「タウタウ」と呼ばれる人形を見に行くはずだったが、どうもそれどころではない。いま緊急に必要なのは、タオルやティッシュと子供たちのパンツだ。
ガイドのGENTOグントに頼んで、ランテパオの市場に連れて行ってもらう。

雑貨屋のような店で目的のものをさがすが、素材の悪さに驚く。売っている子供たちの下着は、すべてナイロン製の、色も青や黄やピンクのどぎついものばかりだった。しかしそれでも買わざるを得ない。
異国に行くと、マーケットでの買い物や見学は、人々の暮らしに接することができる楽しみの一つだが、今回はそんな余裕がなかった。


ランテパオの肉屋

道端に一軒の肉屋があった。店先の竹筒に赤い肉が吊り下げられている。インドネシアはイスラム教徒の国といわれるが、ここスラウェシ島にはキリスト教徒が多い。だから豚肉もオーケーだ。

道端では、一頭の豚が丸焼きにされようとしていた。内臓はすでに取り出された後のようだ。

焼けた豚がどうなるのか見届けたかったが、そんな余裕はない。はやくパンツを持って帰らなくっちゃ。
宿のLEBONNAに戻って色鮮やかなパンツを見せると、みんなあきれて大笑いになった。少しは余裕がでてきたかも。


何もしない午後

この日は日曜日。LEBONNAから見えるところに教会があって、朝から人が集まっていた。賛美歌か何かを歌う声が、私たちのいるところまで聞こえてくる。昼過ぎに終わったのか、LEBONNAの人たちも戻ってきた。
昨夜あまり寝ていないせいで、眠くてしかたがない。ベッドに横になると、一気に睡魔が押し寄せる。
じっとしていると、いろんな音や声が聞こえてくる。鶏は一日中鳴いているように思う。虫の声や蛙の鳴き声も聞こえてくる。へやのどこかでヤモリのチェチャが「チチチチチ・・・」とささやいている。
そうかと思うと、突然気温が下がってどしゃ降りの雨が降ってきた。年間降雨量4,000mmというからすさまじい。
ウトウトと不思議な時間の流れの中を漂っているうちに、気がつくと夕方近くになっていた。
GENTOグントは、明日行われるという葬儀の情報を仕入れに、友人のところに行ってくれたようだ。

LEBONNAの主人は、TOMBILAYUKトムビラユさんと言った。子どもが何人かいるようだ。みんなよく家の手伝いをする。
14歳の男の子がいて、名前をBUNAブナと言った。夕方、牛を連れてきて見せてくれた。大きな角の立派な牛だ。とてもおとなしい。牛一頭は年収ぐらいの値段がするそうだ。


トラジャ4日目の朝

タナトラジャにやって来て、早くも4日目の朝が明けた。子供たちはかなり回復した様子で、昨夜は一度トイレに行っただけのようだ。
この2日間はランテパオの市場に行ったぐらいで、トラジャらしい所にはまだ行けてない。今日、TOKARAUトカラウというところで、大きな葬儀があるので、見学に出かけることになる。これは楽しみだ。家族みんなで行きたいところだが、まだ体調がよくないので妻と子供たちは残り、GENTOグントの車で、彼の友人のKIYUDINキユディンさんと私の3人で行くことになる。

朝食は目玉焼きとゆで卵と紅茶。パンは食べなかった。8時前にLEBONNAを出発する。トラジャは高地にあるので、朝は肌寒い。長袖のトレーナーを着る。GENTOグントは革のジャケットを着ている。
まずランテパオのスーパーマーケットに立ち寄って、タバコを1カートン購入する。これから参列する葬儀で、喪主にお供えとして渡すためだ。

TOKARAUトカラウはランテパオから20kmほど離れた町だ。しかしこの町に行く前に、もう一つ大事な用がある。GENTOグントとは2週間のトラジャツアーを契約したが、まだ帰りの飛行機のチケットは宙に浮いたままで、2週間この島にいたところで、日本に帰れるわけではない。スラウェシ島のウジュンパンダンからバリ島のデンパサールまでのチケットを何とかして手に入れる必要がある。ここは大阪にいるHK交通社のO君と連絡をとるしかない。
ということで、ランテパオの電話局に連れて行ってもらった。申込用紙に通話先を記入し、自分の名前をサインして提出する。電話がつながるまで30分も待った。O君に7/26の〈ウジュンパンダン~デンパサール〉の便が「NOT OK」だったことを説明し、飛行機の手配をしてほしいと頼む。O君の、「何とかガルーダにプッシュします」という言葉を信じて、2日後にもう一度こちらから連絡する約束をする。
希望の光がほんの少し見えてホッとする。肩の荷が半分ぐらい下りた。

さあ、いよいよトラジャの葬儀だ!



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