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京都国立博物館 新春特別展示「卯づくしー干支を愛でるー」~展覧会#28~

京博のお正月

京都国立博物館では、毎年1月に「京博のお正月」というテーマで、その年の干支に関係する美術品を展示しています。
この時期の展示は平常展示ですが、その中の一室が、新春特別展示「卯づくしー干支を愛でるー」に充てられていました。
今年の干支は「卯」。動物でいえば「兎」ですね。

さて、「兎」をモチーフにした美術品にはどんなものがあるのでしょうか。


新春特別展示「卯づくしー干支を愛でるー」

今回の特集展示では24点が出品されていました。その中のいくつかを紹介しましょう。写真撮影は禁止なので、会場のパンフレットなどから転載します。

飴釉双兎炉蓋 仁阿弥道八 (京都 正伝永源院)

木彫のように見える二匹の兎。しかしこれは焼き物の炉蓋です。耳に穴があり、空気が流通するようになっています。兎の胴体の下に隙間があり、ここが持ち手です。作者仁阿弥道八は、江戸時代の京焼の名手として知られています。


十二類絵巻(重文)室町時代 三巻のうち巻上

十五夜の夜、十二支の動物たちが集まって歌合をしました。審判をつとめたのは鹿です。鹿について来た狸は、それを羨ましく思い、「次は私が審判をやりたい」と言いますが、十二支の動物たちにさんざんからかわれていじめられます。
上の図の兎は、まるで野球のバットをかまえるように、むちのようなものを振りかざしています。かわいい兎には似合いませんね。
このあと、狸は他の動物を従えて、十二支の動物たちに戦いを挑むのですが、結局敗れてしまうのでした。


月兎双鵲八花鏡げっとそうじゃくはっかきょう

中国の唐時代、8~9世紀に作られた鏡の裏側に描かれた図です。
中央のちゅうの左右に「かささぎ」、下に「龍」、そして上の丸いのは「月」です。月の中には、「桂」の木が生えていて、その右に「蟾蜍ひきがえる」、左に「兎」がいます。兎は、臼と杵で餅をついているように見えますが、それは日本的な考え方で、中国では、不老不死の薬を作っていると信じられていました。
ところで、なぜ月に蟾蜍ひきがえるがいるのか、ということについては、中国の次のような神話を紹介しておきます。

羿げいという弓の名手がいた。あるとき彼は、世界の西の果てにある崑崙山まで旅をし、そこに住む西王母から人間のために不老不死の薬をもらい受けた。ところが、彼の妻の嫦娥じょうがはその薬を盗み、独り占めしようとして月に逃げ込んだ。そのため、人間は死ななければならなくなった。しかしこの悪事の報いのためか、美女であった嫦娥は醜いヒキガエルの姿に変わってしまったという。

月兎蒔絵象嵌盆 笠翁細工

うずくまって振り返る兎と、後足で立ち上がって見上げる兎。そして右側には蔓草が、すべて象嵌で描かれています。円形の盆は、月そのものでしょう。


兎図扇面 元久印(室町時代)

秋草の中にすわる兎が遠くの山を眺めています。山の間から月が昇りはじめているようです。
右端に「元久」の 朱文壺印があります。元久の伝歴は不明ですが、画風から見て狩野元信(1479-1559)に近い狩野派の画家と考えられています。


木賊花兎とくさはなうさぎに段文様小袖(部分) 江戸時代

木賊とくさは、木製器具などを磨くのに用いられる植物で、その名称は「砥ぐ草」に由来します。木賊で磨かれたような美しい月を詠んだ次の和歌を機縁に、秋を代表する景物として文様化されるようになりました。

 とくさかる そのはら山の 木の間より みがきいでぬる 秋の夜の月

 さらに、月と兎は縁が深いことから、月を省いて「木賊と兎」を組み合わせるという文様が生み出されました。ここでもあえて月は表現されず、ひっそりと兎が刺繍されています。

以上のほかにも、清時代に描かれた「月兎図」や、江戸時代の兎の根付や水滴などが展示されていました。兎は昔から人々に親しまれていたのでしょうね。

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