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コーシャホージンチ

小学校に通っていた頃、学年が上がるにつれて遠出をするようになった。
特に夏休みは遠くまで出かけたが、遊ぶ場所にも遊び友達にも困ることはなかった。
魚釣りはここ、ザリガニ捕りはあそこ、というように、それぞれ行く場所も決まっていた。

家から歩いて30分ほどのところに「高射砲陣地」があった。
正確には「高射砲陣地の跡地」で、だだっ広い石ころと雑草だらけの空き地だった。
僕たちにとっては、そこは「コーシャホージンチ」という、どこか戦争に匂いのする名前を持つ、魅力的な遊び場だった。
夏のギラギラする太陽を遮る日陰もない草っ原で、僕たちは汗を流しながらトノサマバッタやツチバッタを捕まえた。
キチキチバッタがその名のとおり、「キチキチキチ」と鳴きながら足下から飛び立ったりもした。
中でもキリギリスはバッタの王様だった。

チョン ギース チョン ギース

鳴き声をたよりに足音を忍ばせて、目を見開いてその声の源をさがす。
僕たちが手にしているのは、柄を短く切った魚捕り用の網である。
見つけたら、その網の先を両手で持って、そのままダイブする。
草共々のキリギリス押さえ込み作戦だ。
逃げられることも多いが、押さえつけた網の下の草の間に、茶色い筋の入った羽や柔らかい緑の腹部や頑丈な折りたたみ式の脚が見えたりする。
ヤツはとても鋭い鎌のような口を持っていて、噛みつかれることは恐怖だった。
僕は細心の注意を払って網の中に手を入れ、キリギリスのからだをつかむ。 何匹も捕れた日は、まさに陣地からの凱旋であった。

秋になると、「コーシャホージンチ」の空には、Bー29ではなく赤とんぼが乱舞した。
赤とんぼは、捕虫網が届くちょっと上の空を、悠然と飛び交っていた。

世の中にはまだ戦争の残滓が消えてはいなかったが、僕たちは何も考えずに平和な毎日を過ごしていたのだった。

鶴見区の高射砲陣地あと

この地図は「大阪市内で戦争と平和を考える」HPからお借りしました。
僕の家は、産大高校(昔の鉄道高校)と道路を挟んだすぐ前にありました。

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