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Bunkamura ザ・ミュージアム「ミロ展―日本を夢みて」~展覧会#7~

スペインが生んだ偉大な画家

「スペイン三代巨匠」と呼ばれる近代画家がいます。ピカソ、ダリ、そしてミロです。いずれも抽象画の世界では知らない人はいないでしょう。
ほかにも、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤ、ムリーリョなどを思い浮かべると、「三大」で括るのは難しいですね。

ミロは、1893年にバルセロナに生まれました。「Joan Miró」は本展では「ジュアン・ミロ」と紹介しています。「ジュアン・ミロ」または「ジョアン・ミロ」はカタルーニャ語式の読み方で、かつてはカスティーリャ語式の読みで「ホアン・ミロ」とも表記していました。

私が初めてミロ展に行ったのは高校生のとき。すごい衝撃でした。美術の授業で描く油絵では、ミロのまねをしたこともありました。その頃は「ホアン・ミロ」と呼ばれていました。次の写真はその1966年の展覧会の図録です。何度も見て、かなり汚れています。

ミロ展図録1966年

ミロが初めて日本にやって来たのは、このミロ展が開催された年でした。その後、大阪万博が開かれる前年の1969年にも来日し、大阪ガスのパビリオンに「無垢の笑い」と題する陶板の壁画を制作しました。この壁画は現在でも国立国際美術館で見ることができます。

国立国際美術館ミロ壁画

その後もミロの展覧会が開かれると、よく行きました。次の図録は、1984年と1986年のものです。最近は図録を購入することもなくなりましたが・・・。

ミロ展図録2


ミロ展―日本を夢みて

今回の展覧会は、ミロと日本とのつながりに焦点をあてたものでした。
19世紀後半から、ヨーロッパでは浮世絵などの影響でジャポニスムが流行しますが、ミロの中にも日本趣味があったようです。たとえば初期の作品である《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》の背後には、実物の浮世絵のコラージュがあります。

アンリク・クリストフル・リカルの肖像

《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》1917

次の絵は、日本で最初に展示されたミロの作品です。

焼けた森の中の人物たちによる構成

《焼けた森の中の人物たちによる構成》1931

少しずつ、私たちがよく知っているミロの絵らしくなっていきます。

絵画(カタツムリ、女、花、星)

《絵画(カタツムリ、女、花、星)》1934

ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子

《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》1945

ミロが生まれたのは1893年で、上の絵までが戦前~戦中の作品です。
次の作品《絵画》は1966年の制作で、ちょうど初来日の年のものです。このときミロはすでに73歳だったのですね。流れる絵の具をそのまま効果として用いる大胆さが感じられます。

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《絵画》1966

この作品は、どこか東洋の水墨画を連想させるものがありますが、ミロと日本とのつながりを示すものとして、日本の民芸品の収集や、巻物にヒントを得た作品、「祝毎日」という漢字を描いた書道的な作品などがありました。
また、詩人、画家で美術評論家でもあった瀧口修造との交流を示す作品もあり、ミロの中にある日本の存在が小さくなかったことがわかります。

★ミロ展ポスター-crop

ミロ展は、東京のあと愛知県と富山県に巡回するようですが、関西には来ないということなので、観ることができてラッキーでした。



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