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北野天満宮の狛犬①

菅原道真をお祀りする北野天満宮

京都でいちばんたくさんの狛犬が安置されている神社は、北野天満宮です。北野天満宮は、菅原道真公を祭神として祀る全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。
北野天満宮の創建は、菅原道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)が、道真の死後に夢の託宣を受けてお祀りしたのが始まりと言われ、北野天満宮の境内にも文子天満宮があります。
菅原道真は、現在では「学問の神さま」「芸能の神さま」として信仰されていますが、もともとは宮中で起こった異変や都で流行した疫病などが、大宰府の配所で亡くなった道真の怨霊が原因だとして、道真に「北野天満天神」の神号を与えてお祀りした「御霊信仰」でした。

北野天神縁起絵巻

北野天満宮では、正面の大鳥居の狛犬から始まって、参道や門前などに合計12対が確認されています。約半数が江戸時代19世紀、残りが明治以降の奉献です。中には、すでに代替わりしてしまったものもあるので、ここに記録にとどめておきたいと思います。

一の鳥居(大鳥居)前の青銅狛犬

大鳥居wiki-crop

 ・奉献年 昭和9年(1934)10月
 ・青銅製 像高約195cm
 ・考案  竹内栖鳳
 ・原型製作 石本暁海 
この狛犬については、北野天満宮の社報(208号)に、次のように説明されています(ブログ「資料の京都史蹟散策」による)。
「皆燈講は、(大正10年)11月、此の鳥居の前に隻狛を計画し、13年目の昭和9年10月23日に出来上がり、宝物殿前の仮置場に搬入されたと日誌にあり・・・。」
「狛犬の高さは2m、金質は銀銅四分の一、重量は2,600キロ、狛犬の台は御影石にて、下部は大崩石積で、台の高さは3m余、台の幅は3.2m、全高は5m余にて、考案並に鏡石は竹内栖鳳画伯の、西側は白梅、東側は紅梅の図である。」
竹内栖鳳は近代日本画の先駆者で、戦前の京都画壇を代表する画家です。原型製作は京都を中心に活躍した彫刻家石本暁海で、八坂神社西楼門前の青銅狛犬もこの人の作品です。鋳造は大阪の高屋定七、指導は阿部胤斎、と銘文に記されています。
青銅狛犬は大鳥居の手前に安置されています。大鳥居は大正10年の建立で、高さが11.4mもある巨大なものです。原材は大正3年に木曽の山崩れ現場から産出された花崗岩で、現地で荒切りした後、二条駅まで貨車で運び、その後、一柱は牛33頭、もう一柱は牛31頭で千本通りを引いたそうです。
大鳥居は7年の歳月をかけて製作されました。当初は北野天満宮の南神苑に設置されましたが、その後、西陣警察署(現上京警察署)がこの地に移ることになったので、鳥居は昭和41年に現在地に移転されました。青銅狛犬はこの巨大な大鳥居の建立時に、その大きさに見合うものとして計画され、13年の歳月をかけて完成しました。大鳥居の移転時には、この狛犬もいっしょに現在地に移されました。

北野天満宮1・一の鳥居前狛犬結合・昭和9年(1934)考案竹内栖鳳・原型製作石本暁海

狛犬は3m以上の高い位置に坐しているのでそばで見ることができませんが、前肢を踏ん張って胸を反らす姿は堂々として風格があります。境内の宝物殿の前には、この青銅狛犬のレプリカの石膏像が安置されています。

北野天満宮1b・宝蔵館前石膏狛犬結合

今回はここまで。参道を進みながら、順次現れる狛犬の話を続けたいと思います。


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