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大阪市高津宮・青銅狛犬の作者について

高津宮(高津神社)

大阪市中央区にの上町台地に、仁徳天皇をお祀りする高津宮こうづぐうがあります。
先日、連載note「大阪市の神社と狛犬」で紹介したばかりですが、その時点では、拝殿前の青銅狛犬の作者について未確認でした。(現在は書き足して更新しています)

内容が重なるところがありますが、正確な情報をまとめておきたいと思います。


鋳物師

金属を加熱し溶かして型に流し込み、冷えて固まった後、型から取り出して作った(鋳造)金属製品を「鋳物いもの」といいますが、この鋳物を造る職人を「鋳物師いもじ」と呼びます。「いものし」が変化したものです。「鋳物師」は、「鋳工ちゅうこう」「冶工やこう」と言うこともあります。
東大寺の大仏を造ったのも鋳物師です。寺社の梵鐘や燈籠などの金属製品や、鍋・釜などの生活用品も造りました。幕府や朝廷のもとで、各地に鋳物師の集団ができたようですが、大阪にも「河内鋳物師」と呼ばれる大きな集団がありました。


高津宮の青銅狛犬

大阪市中央区にある高津宮こうづぐうは、もとは上町台地のもっと北の方にありましたが、豊臣秀吉の大坂城築城の際に、現在地に移転されました。仁徳天皇の高津たかつの宮があった場所には諸説がありますが、辺りの地名からしても、この近辺であったことは確かです。
昭和20年(1945)の8度にわたる大阪大空襲では15,000人もの犠牲者が出ましたが、たくさんの寺社も焼失しました。高津宮も社殿のほとんどが焼けてしまいます。しかし拝殿前の青銅狛犬は、幸運にも生き残ることができました。戦時中には「金属類回収令」が発せられて、寺社でもたくさんの梵鐘や狛犬が供出されましたが、この青銅狛犬は古くて貴重なものだと判断されたのか、無事でした。

高津宮の青銅狛犬
高津宮の青銅狛犬

高津宮は戦後になって復興がすすみ、現在の社殿は昭和36年(1961)に再建されたものです。拝殿前の狛犬は、磨き上げられた美しい花崗岩製の台座(基壇)に座しています。第二台座に「台石改修 昭和五十四年一月吉日」と彫られていることから、新しい台座が新調されたことがわかります。
また、同じ台座に「寶暦四庚戌載」と刻まれていることから、この狛犬の奉献年が宝暦4年(1754)であったこともわかりました。きっと元の台座に記されていたのでしょう。

この青銅狛犬について述べている書物の一つに、『大阪なにわ狛犬の謎』(小寺慶昭著)があります。ここには、「台座に『心斎橋 長谷川人左衛門』と刻まれている」と説明していました。『彩色絵はがき・古地図から眺める  大阪今昔散歩』(原島広至著)にも、長谷川人左衛門の狛犬と書かれていました。


二つの疑問

これを読んで、二つの疑問が浮かびました。
まず一つは、小寺氏は「台座に・・・刻まれている」と記していますが、台座にはそのような銘文が見当たりません。
もう一つは、「左衛門」という名前です。「~左衛門」という名前はいくらでもありますが、「左衛門」は変だな、という直感です。
この疑問を解決するために、何度目かの高津宮参拝になりました。

この青銅狛犬は、直接石の台座上に坐しています。石造の浪速狛犬の場合は、本体と同石の台座上に坐していますが、大阪に残る古い青銅狛犬には、石造狛犬のような台座はありません。しかし、比較的新しい青銅狛犬の場合は、石造狛犬と同じような台座を造ることもあります。たとえば次の写真は大阪市平野区の杭全神社の青銅狛犬(明治43年)です。作者は京都鋳物師の長谷川亀右衛門易重です。

杭全神社の青銅狛犬
杭全神社の青銅狛犬台座銘

このような台座がない場合、奉献年や鋳物師銘を入れるのは、基壇か本体しかありません。青銅狛犬の場合、本体の尾に書き込むことがあります。
藤井寺市の道明寺天満宮にある元文3年(1738)の青銅狛犬は、奉献年が石の基壇に、作者名は狛犬の尾に書かれていました。

道明寺天満宮の青銅狛犬
道明寺天満宮の青銅狛犬尻尾の銘
道明寺天満宮の青銅狛犬台座銘

さて、高津宮の青銅狛犬に戻ります。花崗岩製の台座の隅々まで確認した後、狛犬本体を子細に調べました。ちょうど桜が満開の週末で、参拝客が途切れない中、狛犬の周りをぐるぐる回っている不審な人物に見えたかもしれません。
銘らしきものがなかなか見つからないでいたところ、宮司さんが社務所から出てこられました。ご挨拶してお尋ねしたところ、「ここですよ」と、すぐに教えてくださいました。もっと早くきけばよかった・・・。

高津宮の青銅狛犬尻尾の銘
高津宮の青銅狛犬尻尾の銘

阿吽ともに、尾の一部に銘が彫られています。阿形の尾は、たぶん戦災で損傷したと思われますが、文字はしっかりと残っています。

冶工 心斎橋 長谷川久左衛門

先の書物では「長谷川人左衛門」と記されていましたが、「人」ではなく「久」ですね。「久左衛門」なら納得です。

「久」の異体字

平野区の杭全神社の青銅狛犬の作者が、京都鋳物師の長谷川亀右衛門易重だと先ほど書きましたが、長谷川家の先祖は、平安時代の12世紀に京都室町で創業した名門で、13代目の次右衛門易基は、豊臣秀吉から「天下一」の朱印状を授かるほどの名人でした。長谷川亀右衛門易重は第27代になります。
高津宮の青銅狛犬の作者である長谷川久左衛門は「心斎橋」とあるので、直系かどうか不明ですが、同じ長谷川氏であろうと思われます。
長谷川久左衛門については、もう少し知りたいところですが、とりあえず二つの疑問はこれで解決しました。一件落着です。

堂々とした立派な青銅狛犬、大切に後世に伝えてほしいですね。




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