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6月の肺


息が苦しい・・・

彼が身体に異変を感じ始めたのは10日ほど前のことである。左の脇腹の辺りに違和感がある。どことはっきり場所を特定できないが、痛みも伴う。内臓が重苦しい感じだ。ちょうどひと月前、人間ドックで健康診断をしたところだが、そのときは全般的に大きな問題はなかった。コレステロール値が高いのはいつものことなので、さほど気にはしていない。
内臓的にはほぼ健康といっていいはずなのに、いったいこの痛みはなんだろう。不安が募るが、そのうち治まるだろうと高をくくっていた。

月が改まり、土曜日に、小学生の孫2人の運動会があった。コロナ禍の頃は、規模縮小・入場制限の寂しい運動会だったが、今年は厳しい制限もなく、晴天に恵まれた運動会日和になった。
朝8時半、家から1kmほど離れた学校まで、昔の村の中の道を歩く。足の運びが遅いのが気になる。早く歩けない。次第に息が苦しくなる。深呼吸をしようと思っても、大きく息が吸えない。昨日のことをふと思い出す。

前日、奈良国立博物館に「空海展」を観にいった。駅から博物館に向かいながら、胸の下辺りに爆弾を抱えているような重さがあった。しかし、観光客に餌をもらっているたくさんのシカを見ていると、ついそれも忘れてしまいそうだった。
博物館の前は長蛇の列だ。幸いチケットを持っていたのですぐに入館できたが、展示室の人混みを進む1時間余りが苦痛でならなった。弘法大師筆の経典や手紙の文字を読む集中力はまったくなかった。

小学校に到着。南向きの校舎の3階に上がって、グラウンドで繰り広げられる子どもたちの演技をしばらく見ていたが、明るい太陽の光に耐えられなくなった。じっと立っていることがつらい。


この体調はやはり異状だ。戻って、医者に行こう。土曜日だが、午前中なら診療しているはずだ。
子どもたちには見に行くと約束していたけれど、優先順位を入れ替えるしかない。急いで、と言っても気持ちばかりで、やっと家に帰り着く。午前10時前、まだ余裕がある。用意をして、今度は車に乗り込む。

マンションの駐車場を出るとき、リモコンでチェーンを解除する。通路を人が横切るのを待って、ゆっくり前進すると、ガシャーンと大きな音がした。一度解除して下がったチェーンが、再び上がってきたところだった。運悪く、車体の前部がそのチェーンにぶつかってしまった。取り付け部の片側が外れてしまう。よりによって、こんな時に・・・。
平日なら管理人がいるのだが、この日は休日だ。放っておけないので、管理会社に電話して説明し、修理を依頼する。
やはり平常心ではないのだろうか。


肺が・・・

気持ちを取り直し、運転に集中して、かかりつけのクリニックに到着。幸い待合室にいるのは数人で、早く診てもらうことができた。病状を説明したあと、聴診器をあてられ、その後ベッドに横になって胸や腹部のエコー検査をする。

「肺に水が溜まってますね。すぐにレントゲンを撮りましょう」

あっという間に、できあがった肺のフィルムが机の上のディスプレイ機器に取り付けられる。3年ほど前にこのクリニックで撮ったフィルムと並べて診ると、左肺の下半分が白く写っているのがよくわかる。

悲しい色やねん・・・


「これが水ですよ。原因は専門医で詳しく調べないとわかりませんね。市民病院を紹介しますから、週明けに行ってください」

すぐに紹介状を送ってもらい、予約票とレントゲン写真のディスクを受け取る。この10日間ほど悩ましかった痛みの原因が、1時間で判明してしまった。しかし、問題はその先である。


胸腔穿刺!

見るからに恐ろしい文字だ。「胸腔」を穿ち刺す。
週明けの月曜日、彼は市民病院の消化器内科を訪れた。

診察・採血検査・胸部X線検査・胸部CT検査・左胸腔穿刺


朝いちばんから、延々と診察と検査が続く。極めつけは最後の「胸腔穿刺」だった。エコーで適当な場所を特定し、局所麻酔をしたあと針を刺す。後方なので、彼にはどんな注射針が身を貫いているのかは見えない。丸椅子に腰掛けて、前方に傾けた身体を両腕で支えながら、ひたすら鈍く重い痛みに耐える。
採取された胸水は約100cc。ほうじ茶のような色をしている。午前中に採血したのが200cc。ちょっと体重が減ったなと、どうでもいいことを考える。
さて、この後、自分の身体はどうなっていくのだろうか・・・。


俳句は、日常の喜怒哀楽を17文字に圧縮して表現するという。「俳句」から「肺苦」という漢字を思い浮かべる。俳句の源流である俳諧は、苦しい日常を短句で笑い飛ばしてしまうものだったはずだ。この重苦しさを消し去る方法はないものか。

六月の肺は溺れて胸の波

夏空の青を映さず胸の海


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