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石峰寺~若冲五百羅漢の寺

伊藤若冲

若冲という画家を初めて知ったのは、大学の美術史の講義だった。
その後、村松梢風の『本朝画人伝』で若冲の人生の数奇さを知った。
数年前には生誕300年を記念した展覧会が各地で開催されたが、今でも必ずどこかで「若冲展」が開かれているほどの人気だ。
京都の相国寺は若冲と深い関わりがあり、境内にある承天閣美術館には常に若冲の作品が展示されていて見応えがある。

狩野派などの御用絵師と違って、京の青物問屋の生まれであった若冲のような町絵師は、パトロンなどの後援者がいないと画業が苦しいことが多い。その点、早くから若冲の ”奇才(鬼才)” に注目した人がいたことは、彼にとって幸いだったと思う。
若冲の後援者には「お寺さん」が多かった。相国寺はその代表といえるが、天明の大火で焼け出されたときは、豊中の西福寺に寄寓し、晩年は伏見の石峰寺に隠遁している。

若冲について書かれたものはたくさんあるが、最近では澤田瞳子さんの小説『若冲』は、若冲の画業の秘密に踏み込んで描かれていて面白かった。

澤田瞳子「若冲」


石峰寺の五百羅漢

伏見といえば伏見稲荷大社が有名だが、JR奈良線稲荷駅の東南、住宅街が途切れる山の麓に、黄檗宗の禅寺百丈山石峰寺がある。

石峰寺地図

石峰寺1

晩年の若冲はこの石峰寺に草庵を結び、自らを「斗米翁」と称し、米一斗と絵一枚を交換する生活を送っていたという。
若冲はここで人生の終わりを迎える。相国寺には若冲の生前墓があるが、死後はこの寺に土葬された。

参道の石段を上るとアーチ型の通路を持つ竜宮門があり、境内への入口になっている。

石峰寺2

正面に本堂がある。かつては薬師如来像が本尊であったが、火災で焼失し、現在は釈迦如来像が本尊になっている。

石峰寺3

石峰寺4

本堂の右手が墓地になっていて、その中に伊藤若冲の墓があった。

石峰寺5

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墓石には「斗米菴若冲居士墓」と刻まれている。右横には筆塚がある。
本堂と墓地の間の道を進むと、また竜宮門があり、竹藪の中に五百羅漢像が安置されている。

石峰寺7

この羅漢像は晩年の若冲が下絵を描き、当寺の第七代密山和尚の協賛を得て、石工に彫らせたものだという。当初は千体を超える羅漢像があったというが、現存するのは五百数十体である。
石像は釈迦の誕生から涅槃までの一生を中心に造られている。精緻に彫られたものもあるが、ほとんどが独特の親しみやすい風貌をしている。

石峰寺羅漢・誕生仏

石峰寺五百羅漢2

石峰寺五百羅漢3

石峰寺五百羅漢4

石峰寺五百羅漢5

石峰寺五百羅漢6

石峰寺五百羅漢7

*現在は、羅漢像保護のため、撮影・スケッチなどが禁じられていますのでご注意ください。



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