見出し画像

錦秋~地元の秋

師走に突入

12月、師走に入った。外の気温は6℃。「地元の秋」と書いたけれど、季節は冬というべきだろう。
私の地元は吹田市。大阪市の北にあり、かつての国名「摂津・河内・和泉」でいうと、摂津の北部「北摂」になる。

この北摂の地は千里丘陵と呼ばれる高台になっていて、近隣には「千里山」「樫切山」「島熊山」「待兼山」など、山のつく地名がいくつもある。
古代には、吹田市の南部まで海が迫っていて、「岸辺」「高浜」「豊津」などの地名は、それを証明している。
私の住む「吹田市山田」のすぐ北側には万博記念公園がある。1970年の万国博覧会の会場の跡地で、その頃から大規模な千里ニュータウンが開発された。ニュータウンは道路も広く整備され、道路脇には街路樹が植えられた。その街路樹も半世紀を経たいま、大きく育っている。


街路樹巡り

11月最後の一日、地元の秋を見に出かけた。
万博記念公園の北側には、大阪大学吹田キャンパスがある。大学の西側は、広大な千里北公園をはさんで、千里ニュータウンの藤白台。この地域の町には、「~台」という名前がつけられている。
藤白台から阪急北千里駅付近を通ってほぼ東西に続く道は「三色彩道さんしきさいどう」と呼ばれている。

三色彩道さんしきさいどう

三色彩道の左右には、タイワンフウ、アメリカフウ、トウカエデの並木が続く。秋が深まったこの時期は、その名のとおり、木々の葉が薄紅色、淡黄色、淡緑色の三色に美しく染まる。

三色彩道の紅葉・黄葉は地元では有名で、訪れる人も多い。
北千里駅付近の地名は「古江台」になる。その北側は「青山台」で、ここには「合歓の木道」「千里さくら通り」がある。桜紅葉も好きだが、この時期はもう散ってしまっただろう。
北千里駅前の道路を南に左折する。線路沿いの道は「千里けやき通り」だ。「けやき」の名前は、古語の「けやけし」に由来する。「際立つ。目立って美しい」という意味だ。


古江公園

線路をはさんで西側に「古江公園」がある。20年余り前まではこの古江台に住んでいて、その頃は「申谷さるたに公園」と呼んでいた。子供たちが小さい頃、よくこの公園で遊んだものだ。
グラウンドが2つあり、線路際のグラウンドにアメリカフウの大木が並ぶ。高さは10m以上あるだろう。

公園北側の道路は、片側にメタセコイアの並木が続く。冬になるとこの葉が完全に落ちて裸木になってしまう。


古江路

古江公園からもう少し南の道が「古江路」だ。ここにはナンキンハゼの並木がある。赤く色づいた葉もきれいだが、散った後に残るはぜた白い実がかわいい。

上の写真では、ナンキンハゼの白い実はわからない。千里中央公園で写した写真はこんな具合だった。青空との対比がきれいだ。

歩道の片側にはプラタナスがあった。いまにもすべての葉を落としそう。下は落葉で埋まっている。


千里ぎんなん通り

古江台の南は、中央環状線をはさんで津雲台、さらに佐竹台へと続く。阪急電鉄の駅は南千里になる。この南千里駅前を東西につなぐ道路が「千里ぎんなん通り」だ。ここは銀杏並木が延々と続く。もう黄金色の葉を落とした木々が多い。

9月に撮影したときは、次のようにまだ青かった。

この時期に、木々の葉を散らして強く吹く冷たい北風を木枯らしと呼ぶ。近畿地方で木枯らし1号が吹いたのは、11月11日だったとか。
木枯らしの漢字は「凩」。これは国字である。

海に出て木枯らし帰るところなし

中学か高校のときに教科書に出てきた山口誓子の句である。読まれたのは1944年。太平洋戦争の最中さなかである。誓子は特攻隊を念頭にこの句を詠んだとか。俳句の持つ深さを思い知らされる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?