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「アガスティアの葉」青山圭秀著を読んで

知人(と言っても’億’を稼ぐインフルエンサー・・・だけど向こうも私のことを知ってるから)がインドへ「アガスティアの葉」を読みに行くと聞いた。

私は初めて聞く言葉だったので、図書館でこの本を借りてみました。

古代インドの仙人アガスティアが、ヤシの葉に書き残した予言があるという。
そしてそれは、そこを訪れる人の出生から死ぬまでのことが記されているという・・・

著者の青山圭秀氏はあの「サイババ」を日本に紹介した人。そして彼自身も自分のアガスティアの葉を読んでもらった・・・
(古代タミル語で書いてあるので、それを読み解く専門の人が現代タミル語に直し、さらに英語に訳すという)
そこには、彼自身しか知らないこと、また、自分でさえもまだ知らずにいたが、時を同じくして起こっていたことが書かれてあったという。

私はこの本がノンフィクションなのか、この方の文芸作品なのか戸惑うくらいに不思議なことが書かれていて、感銘を受けました。


でも待てよ?
誰がインドへ行ってもその葉があるのなら、何十億枚も残されているの?

いえいえ、そうではないでしょう。
そこへ葉を読みに来る人だけの分が存在するのでしょう。
すごい予言者だからそれくらいは分かるはず・・・


私の「アガスティアの葉」にはどんなことが書かれているのでしょう。
皆さんは知りたいですか?
私は・・・

敢えて知りたいとすれば、「いつ死ぬか」ですね。
これからの人生に何が起きるかは、もうそんなに興味がないです。
何が起こっても、良いように対処できる気がするから。

死ぬ時期が分かれば、それに向けて準備ができますし、思い残すことがないようにやりたいことがやれますし(笑)

著者はそこで、大いなる疑問にぶつかります。
「アガスティアの葉」にすべてが記されているなら、自分がこれまで自由意思で選び取ってきた(と思っていた)ことも、全ては運命で決まっていたことだったのか?

なるほど、確かにそうです。何をどうあがいても、すでに決まっていたことだったのか。
我々の人生は、最初から予定されていたことなのか。

私は、そうは思いません。(思いたくありません)
それなら、人生が存在する意味がないもの。
決まったことが決まったように現れて消えるだけなら、そこに意味はないでしょう。

右へ行くか、左へ行くか、それを選ぶところに「学び」があるし、後悔もある。それを経験することが人生の意味だし、人も地球もそうやって生長する。

ではなんでアガスティアの葉には全てが予言されているのか?
私は、そこに書かれた文言も、自然と書き換えられているのではないか?と思うのです。

何もないところからモノを「物質化」して出現させるサイババさんのお膝元。それくらいのことが起きても不思議ではないでしょう?( ´艸`)

因みに、冒頭の知人のアガスティアの葉(やっぱりその人のも存在したそうです)には、「〇〇歳でビジネスでブレイクする」とか、おおむねよき人生を送る旨が書かれていたそうです。
その方は「アトラクションとして楽しむべし」と言ってます。

皆さんは、どう思いますか?ご自分のアガスティアの葉を、読みたいですか?
(完)